ハれて家を出るところに、
「ほんたうにまあ、私はあなたがたから殘酷な目にあつてゐました! あなたがたみんな、――卑怯な! 私はいつも貰ふことばかりで、――ついぞあげることがない。あなたがたの中にまじつた物貰ひのやうでした。私のところへきて犧牲を出せとお求めなすつたことは一度もない。私は何をすることも出來ないものになつてゐました。私はあなたがたがいやになりました! あなたがたが憎くなりました!」
 といふのはノラが「あなたには少しも私といふものを理解してゐらつしやらなかつたでせう? 私は今まで大變不法な取扱を受けてをりました、第一は父からですし、その次はあなたからですよ」といふのと同じである。またゼルマが
「どんなにか私はあなたがたの苦勞や心配をたゞ一滴でもいゝからわけて貰ひたいと思つたでせう! けれどもそれを私が頼むと、あなたは笑つておしまひなさる。私を人形のやうにくるみ上げて、子供と遊ぶやうに私とお遊びなすつた。あゝ、私どんなにかあなたと苦勞を一緒にしたいと騷いだでせう! どんなにかこの世の廣い、高い、強いこともしたいと、一生懸命念がけたでせう!(下略)」
 といふのはノラが「私はあなたの人形妻になりました。ちやうど父の家で人形子になつてゐたのと同じことです。それから子供がまた順に私の人形になりました。そして私が子供と一緒に遊んでやれば喜ぶのと同じやうに、あなたが私と遊んで下されば面白かつたに違ひありません」といふ臺辭の前身と見るべく『人形の家』一篇の根原となつたものである。『青年同盟』のこれ等の句を讀んだブランデス(George Brandes)氏はイブセンにすゝめて、これを展開すれば別に立派な大作が出來るといつたと傳へられてゐる。しかし直接この作を刺戟した動機に關して、ゴッス氏の傳はかういつてゐる。
「一般に信ぜられてゐるところによると、千八百七十九年四月、イブセンはデンマルクの法廷におこつた一事件で、ジーランドの或る小さい町の、若い結婚した婦人がやつたことの話を聞かされた、それが彼れの心を新劇の計畫に引きつけたのである。」
 おそらくこの二つはどちらもあつたのであらう。

       四

 それから今一つはフランスの作家ヴ※[#小書き片仮名ヰ、136−3]リエール・ド・リール・アダンが千八百七十年に作つた一幕劇で『謀叛』(〔La Re'volte〕: Villiers de L' Isle Adam)と題するものである。フェリックスとエリザベットと、夫婦きりの劇で、エリザベットは夫の打算的な性向に堪え得ずして、終に家を棄て去るが、しかし間もなく歸つてきて、結末はめでたく收まる。その中に次のやうなエリザベットの臺詞がある。
「わからない人ね、私は生きたいのですよ。誰れだつて生を樂しみたいと思ふのが當然だとは思ひませんか? 私、ここにゐると息がつまるやうですよ、もつと眞劍なことがほしいのですよ、廣い天の空氣が吸ひたいのですよ! あなたのお札《さつ》が墓場へ持つて行けますか? どのくらゐ私たちは生きられるものだとお思ひなすつて?(間をおいて、考へ込んで)生きる?――私、生きたいとさへ思ふか知ら? 戀人! あなたさうおつしやつてね。お氣の毒さま、違ひます! 戀人なんか私にはありません、この後だつて決して持ちません。私は夫を愛するやうになつてゐました――御覽なさい――そして私が夫から求めたものは、ちらりとでもいゝから、人間の同情でした。それが今ではもう消えてしまつて、愛の誇りなんか私の血管の中で氷りついてゐます。あなたは私が何も知らないで、氣を揉んでゐる間に、私の氣ちがひじみた嬉しさで永久にと思つて捧げるものを、塵芥のやうにひつたくつておしまひなすつたのね。(下略)」
 そして彼の女が義務として爲すべきことをした結果はどうかといふと、たゞ彼の女の若さは亡ぼされ、彼の女の美しさは消え、貴い夕べは簿記帳によつて汚されたに過ぎない。彼の女はもうここに殘つてその義務を果たす力を失つてしまつた。これから少しの自由を樂しまなくてはならない、廣い地平線を見なくてはならない。それが爲に彼の女はたうとう夫と子供を跡にして出て行つた。取り殘されたフェリックスは絶望して卒倒する。けれども次の場でエリザベットは夜明けがたに歸つて來てゐる。
「もう遲かつた!――私にはもう氣力がなくなつてゐる。馬車の窓から夜の暗い中を覗いたとき、自由はいくら欲しくても、私の心は沈んでしまつて、漂泊者といふ冷い感じが身に沁みてきた。鉛の鎖で繋がれたやうな氣持(中略)何處へ行つていゝかわからなくなつて、冷たい朝の空氣に顫えて、私は歸つてきた(下略)」
 といふとフェリックスは「御覽、私だつてつまりそんなに獸ではない」といつて妻の手に接吻する。エリザベットはそれをじつと見おろして、悲しげに、「氣の毒な人!」といふのが終りである。妻が家を出る前後の樣子や、そのあとでの夫の樣子などまで、『人形の家』のノラとヘルマーとの場合に、どこか似たところのあるのは事實である。けれどもイブセンが『人形の家』を書くとき『謀叛』を讀んでゐたか否かは知る由がないから、『人形の家』を『謀叛』から脱化し、若しくは『謀叛』に似せたものだとはいへない。證據のない限りは無關係なもの、暗合したものと見ておくのが至當である。イブセンが、つい十年前に出た他人の作の外形を摸倣する人とも思へないし、著想はすでに『謀叛』よりも早い自作の『青年同盟』に明かにその端緒を見せてゐるのである。かつ『謀叛』は劇としての價値も到底『人形の家』に及ばない。その滑かな饒舌の臭を帶びた臺詞も古いし、感情の誇張、粗大なところも古い。やはりイブセン以前の物といふ感じを免れない。劇の結末は兩者全く相違してゐるのは言ふまでもないが、『謀叛』の結末は、『人形の家』のノラが家を出たきりでその後どうなるであらうかといふ問題をあとに殘してゐるのに比して、答を與へた趣がある。けれどもそれは、エリザベットが悟りを開いて滿足して歸つてきたのでなく、たゞ自分にはもう解決の氣力がなくなつたといつて悲しく歸つてきたのであるから、實は答でなくして問題はそのまゝ殘つてゐるのである。

       五

 それに比べれば、イブセンが通俗趣味に強要せられて結末を變更した、有名な改作の『人形の家』では、親子の愛といふもので解決を與へて、問題を問題としないうちに揉み消してしまつた。今その改作された結末を譯載すると、本書一二六頁の十六行目以下が次のやうに變はる。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
ノラ 二人の仲が本當の結婚にならなくてはなりません。左樣なら!
ヘルマー しかたがない――行け!(ノラの手を把つて)併しその前に子供にあつて暇乞をしなくちやいけない!
ノラ 放して下さい! 私、子供にはあひませんよ! つらくてあへないのですもの。
ヘルマー (左手の戸の方にノラを押しやり)あはなくちやいけない!(戸を明けて靜かに云ふ)あれを御覽、子供等は何も知らないで、すや/\眠つてゐる。明日目をさまして、母の跡を慕ふ、その時はもう――母なし子。
ノラ (顫へながら)母なし子!
ヘルマー ちやうどお前もさうであつた。
ノラ 母なし子!(堪えかねて旅行鞄を落して)あゝ、私、自分にはすまないけれど、このまゝ振りすてゝは行かれない(戸の前に半ば體を沈める)
ヘルマー (喜ぶ、優しい聲で)ノラ! (幕)
[#ここで字下げ終わり]
 かういふ改作が原文の精神を破壞して淺薄なものにしてしまふことは云ふまでもない。であるから、イブセンは已むを得ずして書いたこの改作に關し、次のやうな手紙をヴ※[#小書き片仮名ヰ、139−8]インの一劇場監督者ハインリヒ・ラウベ(Heinrich Laube)に送つた。
[#ここから2字下げ]
 千八百八十年二月十八日、ミュンヘンにて
 拜啓――小生の近作『人形の家』が令名ある貴下の監督の下に「ヴ※[#小書き片仮名ヰ、139−11]イン市劇場」にて開演せられ候由承り大悦罷在り候。
 貴下はこの劇がその結末の彼れが如くなる故をもつて正當にいはゆる「劇」の法則に合ひたるものに非ずとの御意見の由、しかしながら、貴下は眞に法則といふが如きものに多くの價値をおかれ候哉。小生の考へにては、劇の法則は如何やうにも變ぜられ得べく、法則をして文藝上の事實にこそ從はしむべけれど、逆に文藝をして法則に從はしむべきものに非ずと信じ候。この劇が現在のまゝの結末にてストックホルムにおいても、クリスチアニアにおいても、コーペンヘーゲンにおいても、ほとんど空前の成功を收めたるに徴して、この理は明かと存じ候。結末を變更したる作は、小生がこれを必要と認めたるがためにはこれなく、ただ北ドイツの一劇場監督者と、同地方の巡廻興行にてノラに扮する一女優との求めに由りたるものに候。右改作の寫し一部こゝに御送附申上候。御覽の上、かゝるものを用ふるは徒らにこの作の效果を弱むるに過ぎざることを御了知下されたく、希望の至に御座候。小生は貴下が必ずこの劇を原作のまゝにて御演出下され候ことと信じて疑はず候。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]頓首
 尚こんな改作をせざるを得なかつた事情については、デンマルクの『ナチョナール・チデンデ』紙に寄せた、次のやうな書簡がある。
[#ここから2字下げ]
 千八百八十年二月十七日、ミュンヘンにて
 記者足下――尊敬する貴紙第千三百六十號において拜見せしフレンスブルグよりの一書面によれば、『人形の家』(ドイツにては『ノラ』)は彼の地にて劇の結末を變更して演ぜられ、その變更は明かに小生の言ひつけにて爲されたるものと有之候。この末文は事實に無之候。『ノラ』の發行せられて間もなく、これが飜譯者にしてまた北ドイツの諸劇場に對する小生の事務監督者たるベルリンのヴ※[#小書き片仮名ヰ、140−13]ルヘルム・ランゲ(Wilhelm Lange)氏より書面まゐり、それによれば、この劇の結末を變更したる一飜案が發行せらるゝのおそれあり、さすれば、北ドイツの諸劇場中には、多分その方を選びて興行するものあるに至るべしとのことに候ひき。
 かゝる出來事を防がんため、小生は絶對的に必要なる場合を慮り、結末の場を變更したるものをランゲ氏まで送附いたし候。即ちノラは家を去らずして、無理にヘルマーに連れられ子供等の室の前に來たり、ちよつとしたる臺詞ありて、戸のところにくづをるゝ、幕下る、といふ場面に御座候。この變更は、小生みづから、飜譯者まで書面にて申遣はし候通り、この劇に對する「野蠻なる暴行」として呪ひ居り候。この改作の場面を用ふるは全然小生の意志に背きたるものに御座候。ドイツ劇場の多くはこれを用ひざるべしと信じ候。
 ドイツとスカンヂネヴ※[#小書き片仮名ヰ、141−5]アとの間に文學上の便宜の存せざる限り、我々スカンヂネヴ※[#小書き片仮名ヰ、141−5]アの作家は當國の法律の保護を受くる能はず、ドイツの作家のスカンヂネヴ※[#小書き片仮名ヰ、141−6]アにおけるもまた同樣に御座候。從つて小生等の劇は、ドイツにおいては、飜譯者、劇場支配人、舞臺監督者及び小劇場の俳優等が暴行に委せられ居り候。小生の作がこの危險に瀕する場合には、小生は經驗の教ゆるところにより、暴行を小生みづから行ひて、もつて一層不注意未熟なる人々の手に取扱はれ飜案せらるゝことを避け申候。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]頓首
 當時ドイツでは一般にノラが家を去るのを批難してゐた爲にかやうなことが起こつたのである。

       六

『人形の家』の結末に對する世間の批難は、多く「いくら自分の教育の爲だつて妻が夫を棄てて家を出る法はない、ことに子供を棄てゝ出られるものではない、出た後のノラはどうするのだらう」といふのであつた。そこで、イブセンみづからの右の改竄をはじめとし、世間にもこの通俗的な要求を充たすために種々の作が『人形の家』を種にして現はれた。『後の人形の家』ともいふべき種類のものである
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