前達も深入りしたり、させたりしては取り返しがつかないよ」
「大丈夫ですわ、女将さん」
「それならいいけれどね――あ、それからこの方に今度、お仕事に来て頂いたのだから、お前達、暇なときにはお針の持ち方くらいは習うようにしなさいよ、ね」
「はい、はい、小母さん御免なさいよ」
 二人は店へ去った。
「若いものは仕方がありません」と女将は言った。冬子はいつか厳粛な犯しがたい凛とした容貌に変じてしまっていた。お光は何故か平一郎のことを考えていた。「今日はゆっくり休んでくれ」という意味の女将の言葉に、お光は土蔵の裏へ去った。冬子は風呂へ出かけた。
 女将は奥の室へ去って楼主と二人で花|骨牌《カルタ》をはじめた。
「そうはゆきませんよ、青丹などとはどん欲すぎますよ」
「それもそうですかね、さあ、お正月様はこっちのものですよ」
「お生憎さま、そうそういつ迄もあなたの言うとおりにはなっていませんからね」
「や、それを取られては少し困る」
「少し位困るのじゃまだ駄目ですね、さ、どうですかね、あんまり薄情をするから罰があたるのですよ」
「罰はお前の方ですよ、この好色婆さんが」
「何んだよ、浮気なお爺さんが」
「その、そのお婆さんがお好きだから、それ、好きだからしょうがないんだよ」
「うまく、うまく言っているね、こんな爺さんに若いときはわたしが惚れたのが一生のあやまりだね、全く、あやまりだね」
「あやまりさね」
「あやまりだね」
「ところがだ、そのあやまりが、またいいのだからね」
「あやまりだね、と」
「ところが、そうれそのあやまりが生きてくるから妙だよ」
「その頃はまだ頭も禿げずいい若い衆だったから妙なのさ――おや、わたしを迷わして置いてさ、何だよ、存分に迷わして置いてさ」
 こうした言葉が奥座敷から聞えた。楼主も女将も自分が何を言っているのか全然無意識状態にあった。たるんだ静けさが家いっぱいに充ちていた。店の間では鶴子が仰向けになって寝入り、小妻は時々ううむ、ううむと唸った。その上に黄色い日光が漂っていた。一列に店先に並んだ端の方の二台の鏡台に向って鬢のもつれを撫でつけながら、若い菊龍と富江は止度《とめど》なく湧いてくる笑いに全身を波立たせて共通な何かを話しあっていた。
「覚えていらっしゃい、菊ちゃん、あたしが手水《ちょうず》に行って着物を着替えてもまだ次の室で寝ていたくせに、ひとのことを言えるわけじゃないわ」
「あっははははは、うそ/\、あたしと吉っちゃんがそっと襖の間からのぞいて見たら、二人ながら目をあけたまま一緒に寝ていたじゃないの。富ちゃんこそ着物を着替えてからでさえまた寝ているんだもの、あははははは」
「あたしと吉っちゃんですとさ、あははははは、吉っちゃんはいい男ね、菊ちゃんの大切の大切の――」
「富ちゃん、お止しなさいよ。丹羽さんこそ苦《にが》みばしって、会社員で御当世じゃないの。吉っちゃんなんかたかが西洋雑貨店の番頭さんですわ」
「そうでしょうよ、たかが雑貨店の番頭さんが、黄金の指環を買ってくれるのですから、大した番頭さんですよ」
「富ちゃん! そんなら、縮絞《ちぢみしぼり》の単衣を買ってくれたのは誰あれ※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
「あら、まあこの人はそんなことまで知っているの。まあこの人は本当に油断もすきもありゃしないのね」
 二人は笑いこけた。七月近かった。熱気が地より湧きたち、人身の底からじく/\汗がにじみ出た。
「菊ちゃん富ちゃん、お楽しみ! よく今日帰って来たのね。あたしもう帰って来ないのかと思っていたわ」
 川岸沿いの大きな鉄冷鉱泉にゆっくりと肉体を温めて、襟頸から頬にかけて湯上りの白粉を一刷毛真白く塗って、一日中で一番|生心地《いきここち》のある感じを保ちながら時子とお幸は帰って来た。菊龍と富江を見出して声をかけたのは時子だった。彼女は感じたことをことごとく言い現わしてしまわなければ承知できなかった。お幸もずるそうな微笑を含んで二人を見|戍《まも》っていた。
「随分家の中は暑いのね」
 時子はお幸の言葉に返事をしないで濡手拭を鏡台の鏡の上から裏へ拡げて富江に隣りあって坐った。そして石膏のように白い膚を脱いで暫く鏡面にうつる自分の映像に見とれていた。肉付は豊かだし、顔はほんのり血色がよいし、身体全体が石膏のように白く、ただそこに町方の娘に見出されるゆるやかに流れる鮮かな血潮の色あいと皮膚ににじみ出る青春の光沢がなかった。時子はそっと自分の小さい堅いぽっとふくらんだ乳を抑えてみた。乳房の表に繊細な静脈が青く透きとおって見える。指先に感じられる乳の感触は冷たかった。胸廓から腹部にかけての少しばかりの肉の緊張が彼女に若いことを保証していた。
「丹羽さんと吉っちゃんなの?」時子は鏡面から眼眸《まなざし》をはずして彼女に
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