れた御大葬の式の御亡骸《おんなきがら》を遥かに見送り奉るため、一般市民は公園の広場に集まるのであった。平一郎は寂しくなっていた。去った冬子のことや、自分の運命の貧しさのことや、また和歌子のことや、遂には死ななくてはならない自分達であることやを考えて、誰一人高声で話すものもなしに街上を一杯に溢れて歩いて行く群衆の中に交って歩いて行った。大砲の音はどおん、どおんと響いた。彼が自分の家に近いS川の大橋近くへ来たとき、彼は橋詰に佇んでいる一人の女学校の生徒を見出した。髪の結い方や、少し腰を折って佇んでいる姿が和歌子に相違なかった。彼は嬉しくてならなかった。本当にこうした、死の厳粛と森厳と恐ろしさに充ちた夜に、愛する和歌子に会うことは何というすばらしい生甲斐、歓喜であろう。
「和歌子さん!」
「あらっ! 平一郎さん! わたしね、きっといらっしゃると思って待っていたのよ」
「ありがとう――河べりに沿ってS橋の方から行こう」
「ええ」
二人は橋詰から、枝垂れ柳の生えた川岸を、流れに沿って下りかけた。誰も通るものはなかった。水流が黒藍のうねりを光らせつつ十五の平一郎と十六の和歌子の歩みを流れて行った。平一郎は片方の手をズボンの袋《ポケット》に突込んで、右手で和歌子の手を握っていた。微かな温かみ、その温かみこそ僅かに秋の夜中の寂寥と冷気とから二人を元気づけていた。
「僕達は運動場で篝火の燃えるのを見て最敬礼をして、それだけだったのです」
「わたし達だってそうでしてよ――でも何んだかこう気味が悪くなって来たのよ」
「僕だってそうさ。葬式なんて考えるだけでも厭だ」
「厭でも死ねば仕方がないのじゃなくって」
「それあ仕方ないさ。仕方ないったって、和歌子さんだって死ぬのは厭だろう」
「厭ですわ! 死ぬなんて!」
二人は堅く手を握り合って、足下を流れる水流を見つめていた。平一郎は亡き父のことを想い浮かべていた。和歌子は虎に食われて死んだという亡き母のことを考えていた。もく/\と流水は絶えず同じ瀬を作って流れて行った。
「何を考えているのだい」
「わたし? わたし亡くなった母さんのことを考えていましたの」
「僕も亡くなった父さんのこと考えかけたところだ」
二人はまた黙っていた。今度は和歌子が話し出した。
「平一郎さん」
「何?」
「めおと[#「めおと」に傍点]ってどんなことか平一郎さん知っていて?」
「知っているさ」
「どんなことなの?」
平一郎は大きく言った。
「僕達はいまにきっとめおと[#「めおと」に傍点]になるんだよ! ね! 和歌子さん!」
「――」
「いまに僕は偉くなるんだからね。僕は貧乏さ。それでも僕は勉強していまに第一流の政治家になってこの世の生活をもっといいものにして見せるからね。僕は和歌子さんとめおと[#「めおと」に傍点]になっても恥かしくないようにきっとなるからね――」
「ほんとう?」
「僕がうそ[#「うそ」に傍点]を言うものか。いつだって僕は手紙にそう書いているじゃないかね」
和歌子は深い溜息を漏らした。少女の熱情で瞳は輝いて来た。そして、平一郎の右手を両手でおさえて、じっと胸に当てて放さなかった。
「吹屋の丘へ行こうか。和歌子さん」
「ええ。ようござんすわ」
二人は嬉しかった。このまま別れてしまう気がしなかった。昼のうちに寝ているので眠くはなかった。橋を渡って、寂しい暗い街を小走りに、午前二時頃の、黒い幔幕をはった廓の一部を通り抜けて、二人は広漠とした夜の野原に出た。地平の一線をくぎりに野は一面に暗黒色に充たされ、空はやや薄い水色に曇っていた。虫の声が地に湧きたっていた。二人は手を握りあったまま路を歩いた。あまりに広大な夜の自然が恐怖を与えぬでもなかった。吹屋の丘の草原は夜露に湿れて坐りようがなかった。二人は佇んだまま、身に迫る夜気に堪えていた。
「はじめて僕達はここで遇ったのだね。和歌子さん」
「そう――わたしまだ平一郎さんのあの手紙を暗記していましてよ」
「僕だって覚えていらあ」
そう言って彼はそこに坐りこんだ。和歌子はそこにつくばった。寒さに身を顫わせていた。和歌子は自分の家のことを想い出して少し心配になり出した。
「もう何時かしら」
「何時だっていい。僕は夜通しでもここにいたっていい。僕だっていつまでも中学のがらくた[#「がらくた」に傍点]じゃないさ」
すると和歌子が堪《たま》らないようにくす/\と笑い出した。ひどく寒かったが平一郎は我慢していた。
「何がおかしい?」
「がらくた[#「がらくた」に傍点]っていうのがおかしいじゃないの」
「そうさ、がらくた[#「がらくた」に傍点]だあね」平一郎も哄笑した。
「東京の有様は随分盛大でしょうね」と和歌子が尋ねるように言った。
「そうだろうさ。何いったって本場だもの……
前へ
次へ
全91ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島田 清次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング