赤くしてはいって来た。
「お幸いるか、お幸!」
金縁の眼鏡をかけ、肉の豊かな頬を青く剃り、髭を短く刈った四十前後の、乳色の背広を着た男が怒鳴って這入って来た。
「川村さんじゃないの」
「そうだ、そうだ、その川村だ。今日は己の課の奴を皆連れて来たんだ――さ、皆上りたまえ――おい時子、大広間へみんなを案内しないか――おう、これは、これは、女将さん、相変らず達者で、あはっはっはっはっ」
女将はいそ/\と立ち上がった。あまりいい客ともいわれないが、川村が県庁の土木課の課長で、重要な地位にいることを知っている女将は、まるで歓迎しないわけでなかった。時子も菊龍も富江も立ち上がった。茂子も立ち上がらねばならなかった。
「さ、どうぞ此方へ」
四人の芸妓がすらりと褄《つま》をとり、いい立姿を見せて階段をのぼるのに引きずられるように、はじめは入ることを渋っていたもの共も一斉に二階にあがった。二十畳近くしける大広間に十八人の人間がずらりと並んだわけである。眩惑《まぶ》しそうな電光が白光を放ち、春風楼は俄かに生き生きして来た。台所では瓦斯の火で湯がわかされ、酒の燗がはじまった。茶の間では川村が胡坐《あぐら》をかいて、酔いのためにたるんだ舌を動かしてお幸に内密の相談をしはじめた。
「ね、分ったかね、己が課長をしている土木課にだね、二、三の己に反対する奴がいるんだ、ね。其奴《そいつ》を別に恐れるわけではないが、それでは円満に事務がとれないだろうじゃないか。そこで己がつまり今日は課一同の懇親会を開いたのだ。どこでって、料理屋はT――さ。何、何故|招《よ》ばなかったって。それは帰りにここへ来るつもりだったから招ばなかったのさ。ね、小言はようきいてからにするがいい。ところでだ、今夜は一つ君達美人がみんなして、一同を飲みつぶさして、その上で、ね――ちっと耳をおかし」
お幸のふさ/\した髪に酒臭い口をよせて、川村は囁いた。
「――ね、つまり一人残らず君達の方でどうにかしてやってくれればいいのだ、ね、分ったかい」
「さ、でも人が足りないかも知れないわ」
「足りなけりゃ招べばいいじゃないか」
「そううまくあいていればいいけれど。一体何人?」
「みんなで――十八人さ」
「それじゃ難しくないかしら」
「だからその辺は君がうまく取り計らってくれなくちゃ困るじゃないか、人が足りなければ足りないように――」
彼はまた何かささやいた。
「ね、酔っていて何を知るもんかね。ね、要するに何んだ。一人一人が今日己と一緒にここで遊んだということを憶えてしまえばいいんだ。ね、御褒美はまた、ゆっくり山中の温泉へでも連れてってやるから、な」
そして彼は階段を上がって行った。二階では彼を迎える一同の、酒に酔いしれた、群集心理に濁っただみ声と拍手が起こった。お幸は暫く一人首をかしげて茶の間に坐っていた。川村が頼みいった事柄がどういうことであるかを彼女は洞察していた。それは彼女の社会では珍しいことではない。つまりは一種の「去勢政策」なのである。しかし彼女はさらに十八人の多人数の人間に一時にある種の満足を与えねばならないことを考えたとき、当惑せずにはいられなかった。大抵多くて四、五人の人が寄ることはさほどに珍しいことでないが、二十人近い人数はちょっと工合が悪かった。芸妓の数が足りなかった。十時から十二時までの廓の最高潮のこの時刻に何処の家でも芸妓があいてるわけがなかった。殊に今のようなある行為を必要とする場合では難しかった。彼女は、時子、茂子、菊龍、富江、小妻、と指を折って数えてみた。五人しかいなかった。自分自身を交えても六人にしかならなかった。彼女は立って電話室にはいって心あたりの家へ電話をかけた。何処にも人が空いていなかった。といってむやみに二流三流の家へ交渉することは家の沽券《こけん》がゆるさなかった。どうにかして、娼妓を三人見出すことが出来た。彼女はすぐに来るように急きたてた。これで九人、どうにか切りぬけられるだろうと彼女は考えた。彼女は茶の間へ来て、自分はどうあっても川村一人に任せなくてはなるまいが、あと八人で十七人の男をどうにかしなくてはならないのだが、二人ずつとしても誰か一人は三人の男を相手にしなくてはならない。三人の男を一夜に相手にすることは公娼にとってはさほど珍しいことでもあるまいが、短時間のうちに、一どきに三人の男を相手にすることの経験は少なくともお幸自身にもない。彼女はどう振り当てたものか分らなかった。そこへ女将が一杯のまされたらしく顔を赤くして下りて来た。
「お幸ちゃん、お前さん上がらないのかえ」
「女将さん、それどころじゃないのですよ」
「何んだえ」
「あの人達はね、みんな川村さんの課の役人なんですって、そしてその中には川村さんに反対する人もいるのですって、ね、それ
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