た家。家の隣は西洋草花などを作つてある花畑であつた。涼風のそよぐ夏の夕方なぞ白絣縮緬《しろがすりちりめん》の兵子《へこ》帯をしめた若い文士の姿がいつも杉垣の中に、大勢の従姉妹達に包まれて見えた。
 色の白いほつそりとした若い文士の其の頃の面差しは、従姉妹達の胸にくつきりと刻み込まれてあつた。
『あの時分は私等も若かつたわねエ!』
 三人の内の一番若い従妹がこう叫んで一座の人々を見渡した。
『あの時分のことを思ふと丸で夢の様ですわ。』
 と三人の子持に成つた一番上の従姉が心細そゝうに言つた。
 線香の白い灰がほろり/\とくづれて、やつれた主人の顔にくづれる度に淡い陰をつくつてゐた。
 主人は――行くりなくも気が狂つて死んだ亡き妻の青白い顔を思ひ浮かべて、白い布の寝棺の上に目を落じて、一人残つて行く自分の身を思つて見た。

    (二)[#「(二)」は縦中横]

 其処には長い/\年月があつた。昔の家、昔の庭、昔の木、それらが皆昔と云ふ字を持つ様に成つた。
 其一人息子の生れた頃には、新築の家は木の香が甘く漂ひ、庭には青苔も生えず南天の実が赤く実つて居た。杉の苗木がばらばらに門際に植えてあつたりした。主人は三拾幾つの壮年時代で、芸者上りの若い最愛の妻は二十三四の年頃であつた。秋の冷つこい気持のいゝ朝など、赤い手柄の細君の丸髪姿が滴る様な杉の木の間にちらついて居た。隣の遠い此の家のこととて、晴れやいだ嫁の笑ひ声が広い四辺《あたり》の自然の天地に展がつてゐた。
 気が狂つて死んだ妻の顔※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 其の頃一人の息子はもう中学へ入つて居た。
 而して十年の年月が経つた。主人の頭には白毛が見え出した。息子が早稲田に在学の時分、主人は風邪の気分で臥《ふせ》つてゐた。其の時分未だ嫁に行かない末の従妹………が泊り合はせて看護してゐた。ぽつかりとした春の日の午後で裏の畑に茶の花が奇麗に咲いてゐるのが、硝子越で見えてゐた。
『伯父さん郵便。清さんからの。』
 と持つて来た郵便小包を受取つた主人は直様、紐を解き初めた。
『なんだらう』
『さあ、何んですかね。』
 中からは表装の奇麗な白いクロースの本が出て来た。
『や、清が著作したんぢや。』
 主人は赤い顔をにこつかせ乍ら、紅文字の『赤倉清』を指さした。表紙の上には同じ紅い文字で「若き日の影」としてあつた。
 主人は
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