どう見てもおとよさんは隣の清さんが嫁には過ぎてる。おとよさんの浮かない顔するのもそれゆえと思えばかわいそうになってくる。
「省作、いくら仕事になれないからとて、そのからだで女に刈り負けるということないど。どうでもえいと思ってやれば、いつまでたったって仕事は強くならない」
 母は気づかって省作を励ますのである。省作は例のごとくただにこりの笑いで答える。やがて八人用意整えて目的地に出かける。おとよさんとおはまの風はたしかに人目にとまるのである。まアきれいな稲刈りだこととほめるものもあれば、いやにつくってるなアとあざけるものもある。おはまのやつが省作さんに気があるからおかしいやというようなのも聞こえる。おはまはじろり悪口いう方を見たがだれだかわからなかった。おとよさんは、どういう心持ちかただだまってうつむいたままわき目も振らずに歩いてる。姉は突然、
「おとよさん、家《うち》ではおかげで明後日《あさって》刈り上げになります。隣ではいつ……」
「わたしとこでもあさって……」
「家ではね、餅《もち》だというのを、ようよう鮓《すし》にすることになりました。おとよさんとこは何」
「わたしとこでは餅だそうです。わたし餅はきらい」
「それじゃおとよさん、明後日は家へおいでなさいよ」
「それだら省さんがお隣へ餅をたべにいっておとよさんが家へ鮓をたべにくるとえいや」
 こういうのはおはまだ。
「朝っぱらから食うことばかりいってやがらア」
 そういって兄は背負うたスガイ藁を右の肩から左の肩へ移した。隣のお袋と満蔵とはどんなおもしろい話をしてかしきりに高笑いをする。清さんはチンチンと手鼻をかんでちょこちょこ歩きをする。おとよさんは不興な顔をして横目に見るのである。
 今年の稲の出来は三、四年以来の作だ。三十俵つけ一まちにまとまった田に一草の晩稲《おくて》を作ってある。一株一握りにならないほど大株に肥えてる。穂の重みで一つらに中伏《ちゅうぶし》に伏している。兄夫婦はいかにも心持ちよさそうに畔《くろ》に立ってながめる。西の風で稲は東へ向いてるから、西手の方から刈り始める。
 おはまは省作と並んで刈りたかったは山々であったけれど、思いやりのない満蔵に妨げられ、仏頂面《ぶっちょうづら》をして姉と満蔵との間へはいった。おとよさんは絶対に自分の夫と並ぶをきらって、省作と並ぶ。なんといってもこの場では省作が花役者だ。何事にも穏やかな省作も、こう並んで刈り始めて見ると負けるは残念な気になって、一生懸命に顔を火のようにして刈っている。満蔵はもうひとりで唄を歌ってる。おとよさんは百姓の仕事は何でも上手で強い。にこにこしながら手も汚さず汗も出さず、綽々《しゃくしゃく》として刈ってるが、四|把《わ》と五把との割合をもってより多く刈る。省作は歯ぎしりをかんで競うて見ても、おとよさんにかけてはほとんど子供だ。おとよさんは微笑で意を通じ、省作のスガイを十本二十本ずつ刈りすけてやる。おはまはなんといっても十四の小娘だ。おとよさんのそのしぐさに少しも気がつかない。満蔵はひとりでうたい飽きて、
「おはまさアうたえよ。おとよさアなで今日はうたわねいか」
 だれもうたわない。サッサッと鎌の切れる音ばかり耳に立ってあまり話するものもない。清さんはお袋と小声でぺちゃくちゃ話している。満蔵はあくびをしながら、
「みんな色気があるからだめだ。省作さんがいれば、おとよさんもはま公も唄もうたわねいだもの」
 満蔵は臆面もなくそんなことを言って濁《だみ》笑いをやってる。実際満蔵の言うとおりで、おとよさんは省作のいるとこでは、話も思い切ってはしない。省作はもとから話下手《はなしべた》ときてるから、半日並んで仕事をしていてもろくに口もきかないという調子で、今日の稲刈りはたいへんにぎやかであろうと思った反対にすこぶる振るわないのだ。しかし表面にぎやかではないが、おとよさんとおはまの心では、時間の過ぐるも覚えないくらいにぎやかな思いでいるのである。
 省作はもちろんおとよさんが自分を思ってるとはまだ気がつかないが、少しそういう所に経験のある目から見れば、平生あまり人に臆せぬおとよさんがとかく省作に近寄りたがるふうがありながら、心を抑えて話もせぬ様子ぶりに目を留めないわけにゆかない。何か心に思ってる事がなくて、そんなによそよそしくせんでもよい人に、つとめてよそよそしくするのはおかしいにきまっている。稲を刈って助《す》けるのは、心あっての事ともそうでないとも見られるが、そのそぶりはなんでもないもののする事とは見られない。
 午後もやや同じような調子で過ぎた。兄夫婦は稲の出来ばえにほくほくして、若い手合いのいさくさなどに目は及ばない。暮れがたになってはさしもに大きな一まちの田も、きれいに刈り上げられて、稲は畔《くろ》の限
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