てしがない。僕は母のことも気にかかるので、もうお昼だという時分に戸村の家を辞した。戸村のお母さんは、民子の墓の前で僕の素振りが余り痛わしかったから、途中が心配になるとて、自分で矢切の入口まで送ってきてくれた。民子の愍然《あわれ》なことはいくら思うても思いきれない。いくら泣いても泣ききれない。しかしながらまた目の前の母が、悔悟の念に攻められ、自ら大罪を犯したと信じて嘆いている愍然《あわれ》さを見ると、僕はどうしても今は民子を泣いては居られない。僕がめそめそして居ったでは、母の苦しみは増すばかりと気がついた。それから一心に自分で自分を励まし、元気をよそおうてひたすら母を慰める工夫をした。それでも心にない事は仕方のないもの、母はいつしかそれと気がついてる様子、そうなっては僕が家に居ないより外はない。
毎日|七日《なぬか》の間市川へ通って、民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。その翌《あ》くる日に僕は十分母の精神の休まる様に自分の心持を話して、決然学校へ出た。
* * *
民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。
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