せるではないが、もとを云えば他人だけれど、乳呑児《ちのみご》の時から、民子はしょっちゅう家へきて居て今の政夫と二つの乳房を一つ宛《ずつ》含ませて居た位、お増がきてからもあの通りで、二つのものは一つ宛四つのものは二つ宛、着物を拵えてもあれに一枚これに一枚と少しも分け隔てをせないできた。民子も真の親の様に思ってくれ私も吾子と思って余所の人は誰だって二人を兄弟と思わないものはなかったほどであるのに、あとにも先にも一度の小言をあんなに悔しがって夜中泣いて呉れなくともよさそうなもの。市川の人達に聞かれたらば、斎藤の婆《ばあ》がどんな非度《ひど》いことを云ったかと思うだろう。十何年という間我子の様に思ってきたこともただ一度の小言で忘れられてしまったかと思うと私は口惜しい。人間というものはそうしたものかしら。お増、よく聞いてくれ、私が無理か民子が無理か。なアお増」
 母は眼に涙を一ぱいに溜めてそういった。民子は身も世もあらぬさまでいきなりにお増の膝へすがりついて泣き泣き、
「お増や、お母さんに申訣をしておくれ。私はそんなだいそれた了簡《りょうけん》ではない。ゆんべあんなに泣いたは全く私が悪かったから
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