野菊の墓
伊藤左千夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)後《のち》の月

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)十年|余《よ》も過去った

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はっきり[#「はっきり」に傍点]
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 後《のち》の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣《わけ》とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年|余《よ》も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧《むし》ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪《むさぼ》って居る事が多い。そんな訣から一寸《ちょっと》物に書いて置こうかという気になったのである。
 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切《やぎり》の渡《わたし》を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈《かい
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