。
「実はと申すと、あなたのお母さん始め、私また民子の両親とも、あなたと民子がそれほど深い間《なか》であったとは知らなかったもんですから」
僕はここで一言いいだす。
「民さんと私と深い間とおっしゃっても、民さんと私とはどうもしやしません」
「いイえ、あなたと民子がどうしたと申すではないのです。もとからあなたと民子は非常な仲好しでしたから、それが判らなかったんです。それに民子はあの通りの内気な児でしたから、あなたの事は一言も口に出さない。それはまるきり知らなかったとは申されません。それですからお詫びを申す様な訣……」
僕は皆さんにそんなにお詫びを云われる訣はないという。民子のお父さんはお詫びを言わしてくれという。
「そりゃ政夫さんのいうのは御もっともです、私共が勝手なことをして、勝手なことをお前さんに言うというものですが、政夫さん聞いて下さい、理窟の上のことではないです。男親の口からこんなことをいうも如何《いかが》ですが、民子は命に替えられない思いを捨てて両親の希望に従ったのです。親のいいつけで背《そむ》かれないと思うても、道理で感情を抑えるは無理な処もありましょう。民子の死は全くそれ故ですから、親の身になって見ると、どうも残念でありまして、どうもしやしませんと政夫さんが言う通り、お前さん等《たち》二人に何の罪もないだけ、親の目からは不憫が一層でな。あの通り温和《おとな》しかった民子は、自分の死ぬのは心柄とあきらめてか、ついぞ一度不足らしい風も見せなかったです。それやこれやを思いますとな、どう考えてもちと親が無慈悲であった様で……。政夫さん、察して下さい。見る通り家中がもう、悲しみの闇に鎖《とざ》されて居るのです。愚かなことでしょうがこの場合お前さんに民子の話を聞いて貰うのが何よりの慰藉《いしゃ》に思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」
お祖母さんがまた話を続ける[#底本では「読ける」と誤植]。結婚の話からいよいよむずかしくなったまでの話は嫂が家での話と同じで、今はという日の話はこうであった。
「六月十七日の午後に医者がきて、もう一日二日の処だから、親類などに知らせるならば今日中にも知らせるがよいと言いますから、それではとて取敢《とりあえ》ずあなたのお母さんに告げると十八日の朝飛んできました。その日は民子は顔色がよく、はっきりと話も致しま
前へ
次へ
全37ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング