して参ってくるがよかろう……いや着物など着替えんでよいじゃないか」
女達は、もう鼻啜《はなすす》りをしながら、それじゃアとて立ちあがる。水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。小田巻草千日草|天竺牡丹《てんじくぼたん》と各々《めいめい》手にとり別けて出かける。柿の木の下から背戸へ抜け槇屏《まきべい》の裏門を出ると松林である。桃畑梨畑の間をゆくと僅の田がある。その先の松林の片隅に雑木の森があって数多《あまた》の墓が見える。戸村家の墓地は冬青《もちのき》四五本を中心として六坪許りを区別けしてある。そのほどよい所の新墓《にいはか》が民子が永久《とわ》の住家《すみか》であった。葬《ほうむ》りをしてから雨にも逢わないので、ほんの新らしいままで、力紙《ちからがみ》なども今結んだ様である。お祖母さんが先に出でて、
「さア政夫さん、何もかもあなたの手でやって下さい。民子のためには真《ほん》に千僧の供養にまさるあなたの香花《こうげ》、どうぞ政夫さん、よオくお参りをして下さい……今日は民子も定めて草葉の蔭で嬉しかろう……なあ此人にせめて一度でも、目をねむらない民子に……まアせめて一度でも逢わせてやりたかった……」
三人は眼をこすっている様子。僕は香を上げ花を上げ水を注いでから、前に蹲《つくば》って心のゆくまで拝んだ。真《しん》に情ない訣だ。寿命で死ぬは致方ないにしても、長く煩《わずら》って居る間に、あア見舞ってやりたかった、一目逢いたかった。僕も民さんに逢いたかったもの、民さんだって僕に逢いたかったに違いない。無理無理に強《し》いられたとは云え、嫁に往っては僕に合わせる顔がないと思ったに違いない。思えばそれが愍然《あわれ》でならない。あんな温和《おとな》しい民さんだもの、両親から親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。民さんが気の強い人ならきっと自殺をしたのだけれど、温和しい人だけにそれも出来なかったのだ。民さんは嫁に往っても僕の心に変りはないと、せめて僕の口から一言いって死なせたかった。世の中に情ないといってこういう情ないことがあろうか。もう私も生きて居たくない……吾知らず声を出して僕は両|膝《ひざ》と両手を地べたへ突いてしまった。
僕の様子を見て、後に居た人がどんなに泣いたか。僕も吾一人でないに気がついてようやく立ちあがった。三人の中の誰がいうのか、
「なんだって
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