向けは、政夫のことを思うて居ても到底駄目であると遠廻しに諷示《ふうじ》して居た。そこへきて民子が明けてもくれてもくよくよして、人の眼にもとまるほどであるから、時々は物忘れをしたり、呼んでも返辞が遅かったりして、母の疳癪《かんしゃく》にさわったことも度々あった。僕が居なくなってから二十日許り経って十一月の月初めの頃、民子も外の者と野へ出ることとなって、母が民子にお前は一足跡になって、座敷のまわりを雑巾掛《ぞうきんがけ》してそれから庭に広げてある蓆《むしろ》を倉へ片づけてから野へゆけと言いつけた。民子は雑巾がけをしてからうっかり忘れてしまって、蓆を入れずに野へ出た処、間がわるくその日雨が降ったから、その蓆十枚ばかりを濡らしてしまった。民子は雨が降ってから気がついたけれど、もう間に合わない。うちへ帰って早速母に詫《わ》びたけれど母は平日の事が胸にあるから、
「何も十枚ばかりの蓆が惜しいではないけれど、一体私の言いつけを疎《おろそ》かに聞いているから起ったことだ。もとの民子はそうでなかった。得手勝手な考えごとなどしているから、人の言うことも耳へ這入《はい》らないのだ……」
という様な随分痛い小言を云った。民子は母の枕元近くへいって、どうか私が悪かったのですから堪忍《かんにん》して……と両手をついてあやまった。そうすると母はまたそう何も他人らしく改まってあやまらなくともだと叱ったそうで、民子はたまらなくなってワッと泣き伏した。そのまま民子が泣きやんでしまえば何のこともなく済んだであろうが、民子はとうとう一晩中泣きとおしたので翌朝は眼を赤くして居た。母も夜時々眼をさましてみると、民子はいつでも、すくすく泣いている声がしていたというので、今度は母が非常に立腹して、お増と民子と二人呼んで母が顫声《ふるえごえ》になって云うには、
「相対《あいたい》では私がどんな我儘なことを云うかも知れないからお増は聞人《ききて》になってくれ。民子はゆうべ一晩中泣きとおした。定めし私に云われたことが無念でたまらなかったからでしょう」
民子はここで私はそうでありませんと泣声でいうたけれど、母は耳にもかけずに、
「なるほど私の小言も少し云い過ぎかも知れないが、民子だって何もそれほど口惜《くや》しがってくれなくてもよさそうなものじゃないか。私はほんとに考えると情なくなってしまった。かわいがったのを恩に着
前へ
次へ
全37ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング