らば、再度《ふたたび》思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧《ちえ》も出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖《お》じ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。夜になっても寝ると仕方がないから、なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をして居た。そういう始末でようやく年もくれ冬期休業になった。
僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に籾《もみ》を干してあって、母は前の縁側に蒲団《ふとん》を敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよい。今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉《くず》をはきに行ったとの話である。僕は民さんはと口の先まで出たけれど遂《つい》に言い切らなかった。母も意地悪く何とも言わない。僕は帰り早々民子のことを問うのが如何にも極り悪く、そのまま例の書室を片づけてここに落着いた。しかし日暮までには民子も帰ってくることと思いながら、おろおろして待って居る。皆が帰っていよいよ夕飯ということになっても民子の姿は見えない、誰もまた民子のことを一言も言うものもない。僕はもう民子は市川へ帰ったものと察して、人に問うのもいまいましいから、外の話もせず、飯がすむとそれなり書室へ這入ってしまった。
今日は必ず民子に逢われることと一方ならず楽しみにして帰って来たのに、この始末で何とも言えず力が落ちて淋しかった。さりとて誰にこの苦悶《くもん》を話しようもなく、民子の写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れない。またあの奴民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも口惜《くや》しく、ようやく心を取直し、母の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。
翌《あ》くる日は九時頃にようやく起きた。母は未だ寝ている。台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとかで、お増が一人台所片づけに残っている。僕は顔を洗ったなり飯も食わずに、背戸の畑へ出てしまった。この秋
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