れを聞きたさに今日も寄ったのだ、そういう話を聞くのがおれには何よりの御馳走だ、うんお前も仕合せになった」
 こんな訳で話はそれからそれと続く、利助の馬鹿を尽した事から、二人が殺すの活《いか》すのと幾度も大喧嘩《おおげんか》をやった話もあった、それでも終いには利助から、おれがあやまるから仲直りをしてくろて云い出し誰れの世話にもならず、二人で仲直りした話は可笑しかった。
 おれも始めから利助の奴は、女房にやさしい処があるから見込みがあると思っていた、博打《ばくち》をぶっても酒を飲んでもだ、女房の可愛い事を知ってる奴なら、いつか納まりがつくものだ、世の中に女房のいらねい人間許りは駄目なもんさ、白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着《きんちゃく》茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、うまく皮を剥《む》いたのへ、花鰹《はながつお》を振って醤油をかけたのさ、それが又なかなかうまいのだ、いつの間にそんな事をやったか其の小手廻しのえいことと云ったら、お町は一苦労しただけあって、話の筋も通って人のあしらいもそりゃ感心なもんよ。
 すとんすとん音がすると思ってる内に、伯父さん百合餅《ゆりもち》ですが、一つ上って見て下さいと云うて持って来た。
 何に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子|甥子《おいご》の心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手《ついで》があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。
 おれは今六十五になるが、鯛《たい》平目《ひらめ》の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。
 お町は云うまでもなく、お近でも兼公でも、未だにおれを大騒ぎしてくれる、人間はなんでも意気で以て思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのと云うが、今の世にえらいと云われてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。
[#地から2字上げ](明治四十二年九月)



底本:「野菊の墓」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年10月25日発行
   1985(昭和60)年6月10日85刷改版
   1993(平成5)年6月5日97刷
入力:大野晋
校正:高橋真也
1999年2月13日公開
2005年11月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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