りくと足の下がぎしぎし鳴る位だ、お町はやがて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も朝草を山程刈って帰ってきた、さっぱりとした麻の葉の座蒲団を影の映るような、カラ縁に敷いて、えい心持ったらなかった、伯父さん鎌を六丁買ってきて、家でばっかそんなにいるかいちもんだから、おれがこれこれだと話すと、そんなら一丁家へもおくんなさいなという、改まって挨拶するかと思うと、あとから直ぐ甘えたことをいう、そうされると又妙に憎くないものだよ。
あの気転だから、話をしながら茶を拵《こしら》える、用をやりながらも遠くから話しかける。
「ねい伯父さん何か上げたくもあり、そばに居て話したくもありで、何だか自分が自分でないようだ、蕎麦《そば》饂飩《うどん》でもねいし、鰌《どじょう》の卵とじ位ではと思っても、ほんに伯父さん何にも上げるもんがねいです」
「何にもいらねいっち事よ、朝っぱら不意に来た客に何がいるかい」
そういう所へ利助もきて挨拶した、よくまア伯父さん寄てくれました、今年は雨都合もよくて大分作物もえいようでなど簡単な挨拶にも実意が見える、人間は本気になると、親身の者をなつかしがるものだ、此の調子なら利助もえい男だと思っておれも嬉しかった、お町は何か思いついたように夫に相談する、利助は黙々うなずいて、其のまま背戸山へ出て往った様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈《かまど》に火を入れる、おれの近くへ石臼《いしうす》を持出し話しながら、白粉《しろこ》を挽《ひ》き始める、手軽気軽で、億劫な風など毛程も見せない、おれも訳なしに話に釣り込まれた。
「利助どんも大分に評判がえいからおれもすっかり安心してるよ、もう狂《あば》れ出すような事あんめいね」
「そうですよ伯父さん、わたしも一頃は余程迷ったから、伯父さんに心配させましたが、去年の春頃から大へん真面目になりましてね、今年などは身上《しんしょう》もちっとは残りそうですよ、金で残らなくてもあの、小牛二つ育てあげればって、此節は伯父さん、一朝に二かつぎ位草を刈りますよ、今の了簡《りょうけん》でいってくれればえいと思いますがね」
「実の処おれは、それを聞きたさに今日も寄ったのだ、そういう話を聞くのがおれには何よりの御馳走だ、うんお前も仕合せになった」
こんな訳で話はそれからそれと続く、利助の馬鹿を尽した事から、二人が殺すの活《いか》すのと幾度も大喧嘩《おおげんか》をやった話もあった、それでも終いには利助から、おれがあやまるから仲直りをしてくろて云い出し誰れの世話にもならず、二人で仲直りした話は可笑しかった。
おれも始めから利助の奴は、女房にやさしい処があるから見込みがあると思っていた、博打《ばくち》をぶっても酒を飲んでもだ、女房の可愛い事を知ってる奴なら、いつか納まりがつくものだ、世の中に女房のいらねい人間許りは駄目なもんさ、白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着《きんちゃく》茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、うまく皮を剥《む》いたのへ、花鰹《はながつお》を振って醤油をかけたのさ、それが又なかなかうまいのだ、いつの間にそんな事をやったか其の小手廻しのえいことと云ったら、お町は一苦労しただけあって、話の筋も通って人のあしらいもそりゃ感心なもんよ。
すとんすとん音がすると思ってる内に、伯父さん百合餅《ゆりもち》ですが、一つ上って見て下さいと云うて持って来た。
何に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子|甥子《おいご》の心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手《ついで》があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。
おれは今六十五になるが、鯛《たい》平目《ひらめ》の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。
お町は云うまでもなく、お近でも兼公でも、未だにおれを大騒ぎしてくれる、人間はなんでも意気で以て思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのと云うが、今の世にえらいと云われてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いもので
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