拶したのを見るとあの人さ、そんころ善吉はまるっきり小作つくりであったから、あの女も若い時から苦労が多かった。
村の内でも起きて居た家は半分しか無かった、そんなに早いのに、十四五の小娘が朝草刈りをしているのだもの、おれはもう胸が一ぱいになった位だ。
「おう誰かと思ったら、おちかどんかい、お前朝草刈をするのかい、感心なこったねい」
おれがこう云って立ち止まると、
「馴れないからよく刈れましね、荒場のおじいさんもたいそうお早くどこへいきますかい」
そう云って莞爾《にっこり》笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。
お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永らくぶらぶらしてますから困っていますと云う、それだからこうして朝草も刈るのかと思ったら、おれは可哀そうでならなかった、それでおれは今鎌を買いに松尾へ往くのだが、日中は熱いからと思ってこんなに早く出掛けてきたのさ、それではお前の分にも一丁買ってきてやるから、折角丹誠してくれやて、云ったら何んでも眼をうるましたようだった、其時のあの女の顔をおれは未だに覚えてる、其の後、家のおやじに話して小作米の残り三俵をまけてやった、心懸けがよかったからあの女も今はあんなに仕合せをしてる。
これでは話が横道へ這入《はい》った、それからおれが松尾へ往きついてもまだ日が出なかった、松尾は県道筋について町めいてる処《ところ》へ樹木に富んだ岡を背負ってるから、屋敷構《やしきがまえ》から人の気心も純粋の百姓村とは少し違ってる、涼しそうな背戸山では頻《しき》りに蜩《ひぐらし》が鳴いてる、おれは又あの蜩の鳴くのが好きさ、どこの家でも前の往来を綺麗《きれい》に掃いて、掃木目《ほうきめ》の新しい庭へ縁台を出し、隣同志話しながら煙草など吹かしてる、おいらのような百姓と変らない手足をしている男等までが、詞《ことば》つかいなんかが、どことなし品がえい、おれはそれを真似ようとは思わないけど、横芝や松尾やあんな町がかった所へいくと、住居の様子や男女の風俗などに気をつけて見るのが好きだ。
兼鍛冶のとこへ往ったら、此節は忙しいものと見えて、兼公はもう鞴場《ふいごば》に這入って、こうこうと鞴の音をさして居た、見ると兼公の家も気持がよ
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