人は幸福だ」
「進行を遂げるならよいけれど、児が殖えたばかりでは進行とも云えんからつまらんさ。しかし子供は慥《たしか》に可愛いな。子供が出来ると成程心持も変る。今度のは男だから親父が一人で悦んでるよ」
「一昨年来た時には、君も新婚当時で、夢現《ゆめうつつ》という時代であったが、子供二人持っての夫婦は又別種の趣があろう」
「オイ未だか」
岡村が吐鳴《どな》る。答える声もないが、台所の土間に下駄の音がする。火鉢の側《そば》な障子があく。おしろい真白な婦人が、二皿の粽を及び腰に手を延べて茶ぶ台の上に出した。予は細君と合点してるが、初めてであるから岡村の引合せを待ってるけれど、岡村は暢気に済してる。細君は腰を半ば上りはなに掛けたなり、予に対して鄭嚀《ていねい》に挨拶を始めた、詞は判らないが改まった挨拶ぶりに、予もあわてて初対面の挨拶お定まりにやる。子供二人ある奥さんとはどうしても見えない。
「矢代君やり給え。余り美味《うま》くはないけれど、長岡特製の粽だと云って貰ったのだ」
「拵《こしら》えようが違うのか、僕はこういうもの大好きだ。大いに頂戴しよう」
「余所《よそ》のは米の粉を練ってそれを程よく笹に包むのだけれど、是は米を直ぐに笹に包んで蒸すのだから、笹をとるとこんな風に、東京のお萩《はぎ》と云ったようだよ」
「ウム面白いな、こりゃうまい。粽という名からして僕は好きなのだ、食って美味いと云うより、見たばかりでもう何となくなつかしい。第一言い伝えの話が非常に詩的だし、期節はすがすがしい若葉の時だし、拵えようと云い、見た風と云い、素朴の人の心其のままじゃないか。淡泊な味に湯だった笹の香を嗅《か》ぐ心持は何とも云えない愉快だ」
「そりゃ東京者の云うことだろう。田舎に生活してる者には珍らしくはないよ」
「そうでないさ、東京者にこの趣味なんぞが解るもんか」
「田舎者にだって、君が感じてる様な趣味は解らしない。何にしろ君そんなによくば沢山やってくれ給え」
「野趣というがえいか、仙味とでも云うか。何んだかこう世俗を離れて極めて自然な感じがするじゃないか。菖蒲湯《しょうぶゆ》に這入って粽を食った時は、僕はいつでも此日本と云う国が嬉しくて堪《たま》らなくなるな」
岡村は笑って、
「君の様にそう頭から嬉しがって終《しま》えば何んでも面白くなるもんだが、矢代君粽の趣味など嬉しがるのは、要する
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