子は泣いたかッ」
 と問うたら、長女の声でまだ泣かないと聞こえた。自分はその不安な一語を耳にはさんで、走りに走った。走れば十分とはかからぬ間なれど肥った自分には息切れがしてほとんどのめりそうである。ようやく家近く来ると梅子が走ってきた。自分はまた、
「奈々子は泣いたか」
「まだ泣かない、お父さんまだ医者も来ない」
 自分はあわてながらもむつかしいなと腹に思いつつなお一息と走った。
 わやわやと騒がしい家の中は薄暗い。妻は台所の土間《どま》に藁火《わらび》を焚《た》いて、裸体《らたい》の死児《しじ》をあたためようとしている。入口には二、三人近所の人もいたようなれどだれだかわからぬ。民子、秋子、雪子らの泣き声は耳にはいった。妻は自分を見るや泣き声を絞って、何だってもう浮いていたんですものどうしてえいやらわからないけれど、隣の人が藁火であたためなければっていうもんですから、これで生き返るでしょうか……。自分はすぐに奈々子を引き取った。引き取りながらも、医者は何といった。坂部《さかべ》はいたかといえば、坂部は家にいてすぐくるといいましたと返事したのはだれだかわからなかった。
 水にぬれた紙のご
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