》に沈んだような気がした。今の自分はただただ自分を悔い、自分を痛め、自分を損じ苦しめるのが、いくらか自分を慰めるのである。今の自分には、哲学や宗教やはことごとく余裕のある人どもの慰み物としか思えない。自分もいままではどうかすると、哲学とか宗教とかいって、自分を欺き人を欺いたことが、しみじみ恥ずかしくてならなくなった。
 真に愛するものを持たぬ人や、真に愛するものを死なしたことのない人に、どうして今の自分の悲痛がわかるものか、哲学も宗教も今の自分に何の慰藉をも与え得ないのは、とうていそれが第三者の言であるからであるまいか。
 自分はもう泣くよりほかはない。自分の不注意を悔いて、自分の力なきをなげいて泣くよりほかはない。美しい死に顔も明日までは頼まれない。わが子を見守って泣くよりほかに術《すべ》はない。
 妻もただ泣いたばかりで飽き足らなくなったか、部屋に帰って亡き人の姉々らと過ぎし記憶をたどって、悔しき当時の顛末《てんまつ》を語り合ってる。自分も思わず出てきてその仲間になった。
 自分が今井とともに家を出てから間もないことであった。妻は気分が悪く休みおったが、子どもたちの姿がしばらく目を
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