、おっちゃんきんご、おっちゃんきんご」
「もう金魚へにゃしないねい。ねいおんちゃん、へにゃしないねい」
 三児は一時金魚の死んだのに驚いたらしかった。父はさらに金魚を買い足してやることを約束して座に返った。三人はなおしきりに金魚をながめて年相当な会話をやってるらしい。

 あとから考えたこの時の状態を何といったらよいか。無邪気な可憐《かれん》な、ほとんど神に等しき幼きものの上に悲惨なる運命はすでに近く迫りつつありしことを、どうして知り得られよう。
 くりくりと毛を刈ったつむり、つやつやと肥ったその手や足や、なでてさすって、はてはねぶりまわしても飽きたらぬ悲しい奈々子の姿は、それきり父の目を離れてしまった。おんもといい、あっこといい、おっちゃんといったその悲しい声は永遠に父の耳を離れてしまった。
 この日の薄暮《はくぼ》ごろに奈々子の身には不測《ふそく》の禍《わざわい》があった。そうして父は奈々子がこの世を去る数時間以前奈々子に別れてしまった。しかも奈々子も父も家におって……。いつもならば、家におればわずかの間見えなくとも、必ず子どもはどうしたと尋ねるのが常であるのに、その日の午後は、どういうものか数時間の間子どもをたずねなかった。あとから思うと闇の夜に顔も見得ず別れてしまったような気がしてならない。

 一つの乳牛に消化不良なのがあって、今井《いまい》獣医の来たのは井戸ばたに夕日の影の薄いころであった。自分は今井とともに牛を見て、牧夫に投薬の方法など示した後、今井獣医が何か見せたい物があるからといわるるままに、今井の宅にうち連れてゆくことにした。自分が牛舎の流しを出て台所へあがり奥へ通ったうちに梅子とお手伝いは夕食のしたくにせわしく、雪子もお児もうろうろ遊んでいた、民子《たみこ》も秋子《あきこ》もぶらんこに遊んでいた。ただ奈々子の姿が見えなかった。それでも自分はあえて怪しみもせず、今井とともに門を出た。今井の宅は十二、三分間でゆかれる所である。
 今井の宅には洋燈《ランプ》もついてほかに知人《しりびと》もひとりおった。上がってからおよそ十五、六分も過ぎたと思う時分に、あわただしき迎えのものは、長女とお手伝いであった。
「お父さん大へんです、奈々ちゃんが池へ落ちて……」
 それやっと口から出たか出ないかも覚えがなく、人を押しのけて飛び出した。飛び出る間際にも、
「奈々
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング