いて見ると、果たして亡き人の着ていた着物であった。ぐっしゃり一まとめに土塊《つちくれ》のように置いてあった。
「これが奈々ちゃんの着物だね」
「あァ」
ふたりは力ない声で答えた。絣《かすり》の単物に、メリンスの赤縞《あかじま》の西洋前掛けである。自分はこれを見て、また強く亡き人の俤《おもかげ》を思い出さずにいられなかった。
くりくりとしたつむり、赤い縞の西洋前掛けを掛け、仰向いて池に浮いていたか。それを見つけた彼の母の、その驚き、そのうろたえ、悲しい声を絞《しぼ》って人を呼びながら引き上げたありさま、多くの姉妹らが泣き叫んで走り回ったさまが、まざまざと目に見るように思い出される。
三人が上がってきて、また一しきり、親子姉妹がいってかいないはかな言を繰り返した。
十二時が過ぎたというので、経机に燈明を上げた。線香も盛んにともされる。自分はまだどうしてこの世の人でないとは思われない。幾度見ても寝顔は穏やかに静かで、死という色ざしは少しもない。妻は相変わらず亡き人の足のあたりへ顔を添えてうつぶしている。そうしてまたしばしば起きてはわが子の顔を見まもるのであった。お通夜の人々は自分の仕振りに困《こう》じ果ててか、慰めの言葉もいわず、いささか離れた話を話し合うてる。夜は二時となり、三時となり、静かな空気はすべてを支配した。自分はその間にひとり抜け出でては、二度も三度も池のまわりを見に行った。池の端に立っては、亡き人の今朝からの俤を繰り返し繰り返し思い浮かべて泣いた。
おっちゃんにあっこ、おっちゃんにおんも、おっちゃんがえい、お児ちゃんのかんこ、お児ちゃんのかんこがえいと声がするかと思うほどに耳にある彼《か》の子《こ》の言葉を、口にいいさえすればすぐ涙は流れる。何べんも何べんもそれを繰り返しては涙を絞った。
夜が明けそうと気づいて、驚いてまた枕辺《まくらべ》にかえった。妻もうとうとしてるようであった。ほかの七、八人ひとりも起きてるものは無かった。ただ燈明《とうみょう》の火と、線香の煙とが、深い眠りの中の動きであった。自分はこの静けさに少し気持ちがよかった。自分の好きなことをするに気がねがいらなくなったように思われたらしい。それで別にどういうことをするという考えがあるのでもなかった。
夜が明けたらこの子はどうなるかと、恐る恐る考えた。それと等しく自分の心持ちもどうな
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