い、茶の湯などの面白味が少しでも解る位ならば、そんな下等な馬鹿らしい遊びが出来るものでない、
故福沢翁は金銭本能主義の人であったそうだが、福翁百話の中には、人間は何か一つ位道楽がなくてはいけない、碁でも将棋でもよい、なんにも芸も道楽もない人間位始末におえないものはないというような事を云うて居る、さすがは福沢翁である、一面の観察は徹底して居る、堕落的下劣な淫楽を事とするは[#「堕落的下劣な淫楽を事とするは」に傍点]、趣味のない奴に極って居るのだ[#「趣味のない奴に極って居るのだ」に傍点]。
社会問題攻究論者などは、口を開けば官吏の腐敗、上流の腐敗、紳士紳商の下劣、男女学生の堕落を痛罵するも、是が救済策に就ては未だ嘗って要領を得た提案がない、彼等一般が腐敗しつつあるは事実である、併しそれらを救済せんとならば、彼等がどうして相率て堕落に赴くかということを考えねばならぬ、
人間は如何な程度のものと雖も、娯楽を要求するのである、乳房にすがる赤児から死に瀕せる老人に至るまで、それぞれ相当の娯楽を要求する、殆ど肉体が養分を要求するのと同じである、只資格ある社会の人は其娯楽に理想を持って居らねばならぬ
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