傾いては、家庭問題社会問題との交渉がない訳になる、勿論弦斎などの食道楽というふうには衛生問題もあり経済問題もあるらしいが、予の希望は、今少しく高き精神を以て研究せられたく思うのである[#「今少しく高き精神を以て研究せられたく思うのである」に傍点]、美食は美食其物に趣味も利益もあるは勿議であれど、食事の問題が只美食の娯楽を本能とするならば[#「食事の問題が只美食の娯楽を本能とするならば」に傍点]、到底浅薄な問題で士君子の議すべき問題ではない[#「到底浅薄な問題で士君子の議すべき問題ではない」に傍点]。
予の屡繰返す如く、欧人の晩食の風習や日本の茶の湯は美食が唯一の目的ではないは誰れも承知して居よう、人間動作の趣味や案内の装飾器物の配列や、応対話談の興味や、薫香の趣味声音の趣味相俟って、品格ある娯楽の間自然的に偉大な感化を得るのであろう加うるに信仰の力と習慣の力と之を助けて居るから、益々人を養成するの機関となるのである、
欧風の晩食と日本の茶の湯と、全然同じでないは云うまでもないが、頗る類似の点が多いと聞いて、仮りに対照して云うたまでなれど、彼の特美は家庭的日常時な点にある、茶の湯の特長は
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