一|通《とほり》ならぬ苦みをすることを思ふと、斯の如き實務的の仕事に、只|形許《かたばか》りの仕事をして平氣な人の不信切を嘆息せぬ譯にゆかないのである。
自分は三ヶ所の水口を檢して家に歸つた。水は三ヶ所へ落ちて居るに係らず、吾庭の水層は少し増して居つた。河の水はどうですかと、家の者から口々に問はるゝにつけても、茲で雨さへ小降りになるなら心配は無いのだがなアと、思はず又嘆息を繰返すのであつた。
一時間に五|分《ぶ》位づゝ増してるから、これで見ると床《ゆか》へつくにはまだ十時間ある譯だ。何時でも疊を上げられる用意さへして置けば、住居の方は差當り心配はないとしても、もう捨てゝ置けないのは牛舍だ。尿板の後方へは水がついてるから、牛は一頭も殘らず起つてる。さうして其後足には皆一寸許りづゝ水がついてる。豪雨は牛舍の屋根に鳴音烈しく、一寸した會話が聞取れない。愈※[#二の字点、面区点番号1−2−22、206−4]平和の希望は絶えさうになつた。
人が、自殺した人の苦痛を想像して見るにしても、大抵は自殺其のものゝ悲劇をのみ強く感ずるのであろう。併し自殺者其人の身になつたならば、我と我を殺す其實劇よ
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