くは其身一身を處決して濟むものであるならば、其悲慘は必ずしも慘の極なるものでは無い。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覺悟したとき、自《おのづ》から振作するの勇氣は、以て笑ひつゝ天災地變に臨むことが出來ると思ふものゝ、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考へても事に對する處決は單純を許さない。思慮分別の意識からさうなるのでは無く、自然的な極めて力強い餘儀ないやうな感情に壓せられて勇氣の振ひ作《おこ》る餘地が無いのである。
宵から降出した大雨は、夜《よ》一夜《ひとよ》を降通《ふりとほ》した。豪雨《がうう》だ……そのすさまじき豪雨の音、さうして有所《あらゆる》方面《はうめん》に落ち激《たぎ》つ水の音、只管《ひたすら》事なかれと祈る人の心を、有る限りの音聲を以て脅すかの如く、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
少しも眠れなかつた如く思はれたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音聲におびえて居たのだから、固より夢《ゆめ》か現《うつゝ》かの差別は判らないのである。外《そと》は明るくなつて夜は明けて來たけれど、雨は夜の明けたに何の關係も無い如く降り續いて居る。夜を降り通した雨は、
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