って僕はさすがに方角を見てもらう気も起こらなかったが、こういう不運な年にはまたどんな良くないことがこようもしれぬという恐怖心はひそかに禁じ得なかった。
四
五月の末にだれひとり待つ者もないのにやすやすと赤子《あかご》は生まれた。
「どうせ女でしょうよ」
妻はやけにそういえば、産婆は声静かに笑いながら、
「えィお嬢さまでいらっしゃいますよ」
生まれる運をもって生まれて来たのだ。七女であろうが八女であろうが、私にどうすることもできない。産婆はていちょうに産婆のなすべきことをして帰った。赤子はひとしきり遠慮会釈《えんりょえしゃく》もなく泣いてから、仏のような顔して眠っている。姉々にすぐれて顔立ちが良い。
「大事にされる所へ生まれて来やがればよいのに」
妻はそういう下から、手を伸べて顔へかかった赤子の着物をなおしてやる。このやっかい者めがという父の言葉には、もう親のいとしみをこめた情がひびいた。口々に邪慳《じゃけん》に言われても、手ですることには何の疎略《そりゃく》はなかった。
「今に見ろ、このやっかい者に親も姉妹《きょうだい》も使い回されるのだ」
「それだから、なおやっかい者でさあね」
毎日洗われるたびに、きれいな子だきれいな子だといわれてる。やっかいに思われるのも日一日と消えて行く。
電光石火……そういう間にも魔の神にのろわれておったものか、八女の出産届をした日に三ツになる七女は池へ落ちて死んだ。このことは当時お知らせしたことで、僕も書くにたえないから書かない。僕ら夫妻は自分らの命を忘れて、かりそめにもわが子をやっかいに思うたことを深く悔い泣いた。
多いが上にまた子どもができるといっては、吐息《といき》を突いて嘆息したものが、今は子どもに死なれて、生命もそこなうばかりに泣いた。
矛盾撞着《むじゅんどうちゃく》……信仰のない生活は、いかりを持たない船にひとしく、永遠に安住のないことを深刻に恥じた。
五
七月となり、八月となり、牛乳の時期に向かって、不景気の荒波もようやく勢いを減じたが、幼女を失うた一家の痛みは、容易に癒《い》ゆる時はこない。夫妻は精神疲労して物に驚きやすく、夜寝てもしばしば眼をさますのである。
おりから短夜の暁いまだ薄暗いのに、表の戸を急がしく打ちたたく者がある。近所にいる兄の妻が産後の急変で危篤
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