まり口数をきかない、予は食事してからちょっと鵜島《うじま》へゆくから、舟をたのんでくれと命じた。
 富士のすそ野を見るものはだれもおなじであろう、かならずみょうに隔世的夢幻《かくせいてきむげん》の感にうたれる。この朝予は吉田の駅をでて、とちゅう畑のあいだ森のかげに絹織の梭《ひ》の音を聞きつつ、やがて大噴火当時そのままの石の原にかかった。千年の風雨も化力《かりょく》をくわうることができず、むろん人間の手もいらず、一|木《ぼく》一|草《そう》もおいたたぬ、ゴツゴツたる石の原を半里あまりあるいた。富士はほとんど雲におおわれて傾斜|遠長《とおなが》きすそばかり見わたされる。目のさきからじきに山すそに連続した、三、四里もある草木《そうもく》あるいは石の原などをひと目に見わたすと、すべての光景がどうしてもまぼろしのごとく感ずる。
 予はふかくこの夢幻の感じに酔うて、河口湖畔の舟津《ふなづ》へいでた。舟津の家なみや人のゆききや、馬のゆくのも子どもの遊ぶのも、また湖水の深沈《しんちん》としずかなありさまやが、ことごとく夢中の光景としか思えない。
 家なみから北のすみがすこしく湖水へはりだした木立ちのな
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング