岳にて)

  新麗なる眞晝

すさまじきまでに、清らかなる
岩角や深山木のほとりに
みつしりと濕つて咲盡くせる
雪割草や處女袴の新らしき花蕚を
僕は靜かな恐怖の智慧のやうに身にかんじる
これほど雪と西風に洗はれてゐる嶽の
するどい自然色のうちから
あんなにもひそひそと、うすい煙のやうに
僕の官能に色をつけてうつり映える
あのあまりに愛らしい花冠や花序のつらなりが
ものすごいほど清純で、ひびきもなく
喜びに似てさらにふかい
あたらしい無情の溌溂さを光らしてゐるから。

  感

ふかい大きい夜は水と霧にしめり
燦燦たる私の感覺圖を
星くさい石のつめたい匂ひでいつぱいにする
宿屋中の人人はさながら幽靈のやうに
あちこちと燈火の紅のなかをながれ
もうろうとした白い鳥のやうにも見える
ただ私には水音がしみ入り、しみ入り
霧がもてるうすい自然感は人にすりより
白い皿をはひ、浴衣にふれ
金屬のやうなひびきでものいふ女らを
ちらちらする水と燈の中にうかべて
涙ぐましき宵の冷情を發散せしめる。
[#地から1字上げ](遠刈田温泉にて)

  七日原

日の沒《い》りの陰と雪の嶽から
三十度の傾斜をもつてひろがり
うすら青い、ほの黄色い
虹の出易い、雨を感じやすい
空氣の青藍色をもてる昆蟲が
ぱつとしてはちる雪と雲の日に舞ひ上り
陰りかげりてつひにはほのぼのと
青朝山の影となり帶となり
古雅な六月の月影を展べようとする。

  深き山嶽よりの情

友よ
こんなにも明るい、すき透つた場所
きよらかな未完成な
岩道のうねり曲り、灌木の芽と花のひかり
ここでこそ私は自分の青い情感を
光華印刷のやうに整理しよう
あの巷の本の間にのみ散歩せる神經軌道を
この雪白なる、この幽邃なる、冷情なる
寒氣へまで、餓ゑまで
或は高氣壓に吹き颪される戰ひにまで。

  峨峨温泉展望

青灰色の岩壁の外輪を
あんなにもうねうねと帆走する白雲の塊り
峽中は西風をめぐらした城のやうに
今にも霧をはなち、雨を吹き入れよう
下には阿羅漢の如く浴する赤肌の農人が
物見臺の上にゆつたりと歩みいで
衣をかかへて、遠く陰りゆく日を惜しげに
その青青とした髯を風にすりつけては仰ぐ。

  鹽釜港

今に、いまに燈がともらう
あまりにほのかな櫻と海との
うすうすとした眞晝の風のなかに
漁船の祭りの旗から魚賣の天幕から
太平洋の色
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