ふとった少年の顔があらわれた。それは富士男の弟次郎である。
「次郎、どうしてきた」
と兄はとがめるようにいった。
「たいへんだたいへんだ、兄さん、水が船室にはいったよ」
「ほんとうか」
富士男はおどろいて階段をおりた。もし浸水《しんすい》がほんとうなら、この船の運命は五分間でおわるのである。
船室のまんなかの柱には、ランプが一つかかってある。そのおぼつかないうすい光の下に、十人の少年のすがたをかすかに見ることができる。ひとりは長いすに、ひとりは寝台《しんだい》に、九歳や十歳になる幼年たちは、ただ恐怖《きょうふ》のあまりに、たがいにだきあってふるえている。富士男はそれを見ていっそう勇気を感じた。
「このおさない人たちをどうしても救わなきゃならない」
かれはこう思って、わざと微笑《びしょう》していった。
「心配することはないよ、もうじき陸だから」
かれはろうそくをともして室内のすみずみをあらためた、いかにも室内にすこしばかりの水たまりができている、船の動揺《どうよう》につれて水は右にかたむき左にかたむく。だが、それはどこからはいってきたのかは、いっこうにわからない。
「はてな」
かれは頭をかしげて考えた。するとかれはこのとき、海水にぬれた壁《かべ》のあとをおうて眼をだんだんに上へうつしたとき、水は階段の上の口、すなわち甲板《かんぱん》への出入り口から下へ落ちてきたのだとわかった。
「なんでもないよ」
富士男は一同に浸水《しんすい》のゆらいを語って安心をあたえ、それからふたたび甲板へ出た。夜はもう一時ごろである。天《そら》はますます黒く、風はますますはげしい。波濤《はとう》の音、船の動く音、そのあいだにきこえるのは海つばめの鳴き声である。
海つばめの声がきこえたからといって、陸が近いと思うてはならぬ、海つばめはおりおりずいぶん遠くまで遠征《えんせい》することがあるものだ。
と、またもやごうぜんたる音がして、全船《ぜんせん》が震動《しんどう》した、同時に船は、木の葉のごとく巨濤《きょとう》の穂《ほ》にのせられて、中天《ちゅうてん》にあおられた。たのみになした前檣《ぜんしょう》が二つに折れたのである。帆はずたずたにさけ、落花《らっか》のごとく雲をかすめてちった。
「だめだ」とドノバンはさけんだ。「もうだめだ」
「なあにだいじょうぶだ、帆がなくてもあっても同じ
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