。手塚は涙ぐんでうなだれていた。ろばはきょとんとして首を上げて手塚をののしった。
「だからおれはいやだというにおまえが加勢してくれというもんだから」
「ざまあみろ」と安場はわらった。「それが平凡主義の本性なんだ」
安場は歩きだした。そうして快然とうたいだした。
「ああ玉杯《ぎょくはい》に花うけて、緑酒《りょくしゅ》に月の影《かげ》やどし、治安の夢《ゆめ》にふけりたる、栄華《えいが》の巷《ちまた》低く見て……」
読者諸君、回数にかぎりあり、この物語はこれにて擱筆《かくひつ》します。もし諸君が人々の消息を知りたければ六年前に一高の寮舎《りょうしゃ》にありし人について聞くがよい。青木千三と柳光一はどの室の窓からその元気のいい顔をだしてどんな声で玉杯をうたったか。それから一年おくれて入校した生蕃《せいばん》とあだなのつく阪井巌という青年が非常な勉強をもって首席で大学にはいったことも同時に聞くがいい。
さらに安場のことがしりたければ黙々《もくもく》先生をたずねなさい。先生は多分こういうだろう。
「安場ですか、あれはいまロンドンの日本大使館にいます」と。
さらに諸君は「安場はロンドンでなにをしてるんですか」ときいてごらんなさい。先生は多分こう答えるでしょう。
「へそをなでています」
底本:「ああ玉杯に花うけて/少年賛歌」講談社大衆文学館文庫、講談社
1997(平成9)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「ああ玉杯に花うけて」少年倶楽部文庫2、講談社
1975(昭和50)年10月16日発行
初出:「少年倶楽部」
1927(昭和2)年5月号〜1928(昭和3)年4月号
※底本は、親本の親本と思われる、「少年倶楽部名作選1 長編小説集」講談社、1966(昭和41)年12月17日発行の誤りを残しているため、誤植が疑われる箇所は、「佐藤紅緑全集 上巻」講談社、1967(昭和42)年12月8日発行、を参照してあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄、kazuishi
校正:花田泰治郎
2006年2月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアのみんなさんです。
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