子どもの喧嘩にでしゃばって、相手の親をなぐるという法があるか」
 二、三人がどなった。
「あやまらないからなぐったんだ」
「ぐずぐずいわんと早く歩け」
「おれをどうするんだ」
 五、六人の人々が玄関口で押しあった。その中から伯父さんの半裸体《はんらたい》の姿があらわれた、伯父さんの顔はまっさおになってくちびるから血がしたたっていた、かれのやせた肩は呼吸の度ごとにはげしく動いた。
「さあでろ」と巡査《じゅんさ》がいった。
「はきものがない」と伯父さんがいった。
「そのままでいい」
「おれはけだものじゃねえ」
 だれかが外からぞうりを投げてやった、伯父さんはそれをはいた。
「伯父さん!」とチビ公は門内にかけこんでいった。
「おお千三か、おまえのかたきは討ってやったぞ、いいか明日《あす》から商売に出るときにはな、鉄砲となぎなたとわきざしとまさかりと七つ道具をしょってでろ、いいか、助役のせがれが強盗《ごうとう》にでても警察では豆腐屋を保護してくれないんだからな」
 こういった伯父さんの息は酒くさかった。
「歩け」と巡査がいった。
「待ってくださいおまわりさん」とチビ公は巡査の前にすわった。
「伯父さんは酔《よ》ってるんです、伯父さんをゆるしてください、明日《あす》の朝になって酒がさめたら伯父さんと一緒《いっしょ》に警察へあやまりにまいります、伯父さんがいなければ私一人では豆腐を作ることができません」
 チビ公の声は涙にふるえていた。
「なにをぬかすかばか」と伯父さんがどなった。
「商売ができなかったらやめてしまえ、商売をしたからって助役の息子に食われてしまうばかりだ」
 伯父さんはのそのそと歩きだした、かれは門の外になくなく立っている妹(チビ公の母)を見やって少し躊躇《ちゅうちょ》したが、
「あとはたのむぜ、おれは強盗《ごうとう》の親玉を退治《たいじ》たんだから、これから警察へごほうびをもらいにゆくんだ」
 母がなにかいおうとしたが伯父はずんずんいってしまった、ひとりの巡査と、ふたりの町の人がつきそうていった。チビ公と母はどこまでもそのあとについた、伯父さんは警察の門をはいるときちらとふたりの方をふり向いた。
「困《こま》ったねえ」と母がいった。
「阪井にけがをさしたんでしょうか」
「そうらしいよ、たいしたこともないようだが、それでも相手が助役さんだからね」
「今晩帰ってくるでしょう?」
「さあ」
 ふたりは思い思いの憂欝《ゆううつ》をいだいて家へ帰った、母は戸口に立ちどまって深い溜《た》め息《いき》をついた、かの女《じょ》は伯母《おば》のお仙《せん》をおそれているのである、伯父は親切だが伯母はなにかにつけて邪慳《じゃけん》である、たよるべき親類もない母子《おやこ》は、毎日伯母の顔色をうかがわねばならぬのであった。
 ふたりはようやく家へはいった、そうして伯母を起こして仔細《しさい》を語った。
「へん」と伯母は冷ややかにわらった。「なんてえばかな人だろう、この子がかわいいからって助役さんをなぐるなんて……明日《あす》から商売をどうするつもりだろう、どうしてご飯を食べてゆくつもりなの?」
 お仙は眠い目もすっかりさめて口ぎたなく良人《おっと》をののしった。
「商売はぼくがやります、伯母さん、そんなに伯父さんを悪くいわないでください」
 チビ公は決然とこういった。
「やれるならやってみるがいいや、おら知らないよ」
 お仙はふたたび寝床へもぐりこんだ、チビ公と母のお美代《みよ》は床へはいったがなかなか眠れない。
「なによりもね、さしいれ物をしなくちゃね」とお美代がいった。
「さしいれ物ってなあに?」
「警察へね、毛布だのお弁当だのを持っていくんだよ、警察だけですめばいいけれどもね」
「お母《かあ》さんが弁当をこさえてくれればぼくが持っていくよ」
「それがね、お金を弁当屋にはらって、さしいれしてもらうのでなきゃいけないんだよ」
「いくら?」
「一|遍《ぺん》の弁当は一番安いので二十五銭だろうね」
「三度なら七十五銭ですね」
「ああ」
「七十五銭!」
 七十五銭はチビ公ひとりが一日歩いてもうける分である、それをことごとく弁当代にしてしまえば三人がどうして食べてゆけよう。チビ公は当惑《とうわく》した。
「豆をひくにしても煮《に》るにしても、おまえの腕ではとてもできないし、私《わたし》の考えでは当分休むよりほかにしかたがないが、そうすると」
 お美代はしみじみといった。
「休みません、伯父さんのできることならぼくがやってみせます、ぼくのために助役をなぐった伯父さんに対してもぼくはるす中りっぱにやってみせます」
「でもさしいれ物はね」
「お母さん、ぼくの考えではね、お母さんもぼくと一緒《いっしょ》に豆腐《とうふ》を作って、それから伯父さんの回り場所を
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