め息《いき》をついた。向こうではいま手塚が得意になって活動弁士の口まねをしていた。
「主はだれ、むらさきの覆面《ふくめん》二十三騎くつわをならべて……タララララタ、タララララタ、プカプカプカララララララ」
「うまいぞうまいぞ」と一同が喝采《かっさい》した。
「もう一つもう一つ」
 手塚は得意になってうぐいすのなき声、やぎ、ペリカン、ねこ、ねこが屋根から落ちて水たまりにぴしゃりとおちた音などをつづけざまにやった。かれはものまねがじょうずでなにごとについても器用であった。それからかれはハイカラなはやりうたをうたった。
「ぼくらにゃわからない」とチビ公はいった、実際見るもの聞くものごとにかれは旧友達よりはるかにおくれたことに気がついた、朝は学校へゆく、必要な書籍や雑誌はお金をおしまず買ってもらう、学校から帰ると活動写真を見にいっていろいろなことをおぼえてくるのだ、てんびん棒をかついで家をいで、つかれて家へ帰りそのまま寝てしまう自分等とはあまりに身分の差がある。
 お膳が運ばれた、チビ公は小さくなって室《へや》の隅にすわった、かれは今日《きょう》この席へこなければよかったと思った。いろいろな空想は失望や憤慨《ふんがい》にともなって頭の中に往来した。人々はさかんにお膳をあらした、チビ公はだまってお膳を見るとたいの焼きざかなにきんとん、かまぼこ、まぐろの刺身《さしみ》は赤く輝き、吸《す》い物《もの》は暖かに湯気をたてている。かれは伯父《おじ》さんを思いだした、伯父さんはいつも口ぐせにこういった。
「まぐろの刺身で一|杯《ぱい》やらかしたいもんだなあ」
 これを伯父さんへ持っていったらどんなに喜ぶだろう、かれはこう思いかえした、そうしてたいは伯母《おば》さんと母が好きだからかまぼこだけは家へかえってからぼくが食べよう。
 食事がおわってからまたもや余興がはじまった、チビ公はいとまをつげてひと足早く光一の家をでた、かれはてぬぐいに包んださかなの折《お》り箱《ばこ》を後生大事に片手にぶらさげ、昼のごとく明るい月の町をひとりたんぼ道へさしかかった。道のかなたに見える大きな建物は一年前に通いなれた小学校である。月下の小学校はいま、安らかに眠っている。はしご形の屋根のむねからななめにひろがるかわらの波、思いだしたようにぎらぎら反射する窓のガラス、こんもりとしげった校庭の大樹、そこで自分は六年のあいだ平和に育った、そこにはあらい風もふかず冷たい雨も降らず、やさしい先生の慈愛の目に見まもられて、春の草に遊ぶ小ばとのごとくうたいつ走りつおどりつわらった、そこには階級の偏頗《へんぱ》もなく、貧富の差異もなく、勉強するものは一番になりなまけるものは落第した、だが六年のおわり! おおそれは喜ぶべき卒業式か、はたまた悲しむべき卒業式か、告別の歌をうたうとともに同じ巣《す》のはとやすずめは西と東、上と下へ画然《かくぜん》とわかれた。
 親のある者、金のある者はなお学府の階段をよじ登って高等へ進み師範《しはん》へ進み商業学校へ進む、しからざるものはこの日をかぎりに学問と永久にわかれてしまった。
 チビ公は月光をあびながら立ちどまって感慨にふけった。
「やいチビ」
 突然《とつぜん》声が聞こえて路地の垣根から生蕃があらわれた。
「折詰《おりづめ》をよこせ」
「いやだよ」とチビ公は折り箱をふところに押しこんだ。
「いやだ? こら豊松はおとなしくおれにみつぎをささげたのにおまえはいやだというのか」
「いやだ、これは伯父《おじ》さんにあげるんだから」
「やい、こらッ、きさまはおれのげんこつがこわくないかよ」
 生蕃は豊公から掠奪したたいの尾をつかんで胴のところをむしゃむしゃ食べながらいった。
「阪井君、ぼくは毎朝きみに豆腐《とうふ》を食われてもなんともいわなかった、これだけは堪忍《かんにん》してくれたまえ、きみは豊公のを食べたならそれでいいじゃないか」
「きさまは豊公をぎせいにして自分の義務をのがれようというのか」
「義務だって? ぼくはなにもきみにさかなをやる義務はないよ」
「やい小僧《こぞう》、こらッ、三年のライオンを退治《たいじ》した生蕃を知らないか、よしッ」
 生蕃の手が早くもチビ公のふところにはいった。
「いやだいやだぼくは死んでもいやだ」
 チビ公は両腕を組んでふところを守った。
「えい、面倒だ」
 生蕃はずるずると折り箱をひきだした、チビ公は必死になって争うた。一は伯父《おじ》を喜ばせようという一心にのぼせつめている、一はわが腹をみたそうという欲望に気狂《きぐる》わしくなっている。大兵《だいひょう》とチビ公、無論敵し得《う》べくもない、生蕃はチビ公の横面をぴしゃりとなぐった、なぐられながらチビ公はてぬぐいの端《はし》をにぎってはなさない。
「えいッ」
 声ととも
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