て食わないと同じことだ、ぼたもちは目に見るべきものでなくして、口に食すべきものだ、書籍は読むべきものでなくして行ないにあらわすべきものだ、いもは浦和の名産である、だが諸君、同じ大きさのいもの重さが異《こと》なる所以《ゆえん》を知っているか、量においては同じである。重さにおいて一|斤《きん》と二斤の差があるのは、肥料の培養法《ばいようほう》によってである、よき肥料と精密な培養はいもの量をふやしまた重さをふやす、よき修養とよき勉強は同じ人間を優等にすることができる、諸君はすなわちいもである。
 この訓話については「人を馬鹿にしてる。おれ達をいもだといったぜ、おい」と不平をこぼした者もあった。
 普通の教師は学校以外の場所では中折帽《なかおれぼう》をかぶったり鳥打帽《とりうちぼう》に着流しで散歩することもあるが、校長だけは年百年中《ねんびゃくねんじゅう》学校の制帽《せいぼう》で押し通している、白髪のはみだした学帽には浦和中学のマークがいつも燦然《さんぜん》と輝いている。校長のマークもぼくらのマークも同じものだと思うと光一はたまらなくうれしかった。
 とここに一大事件が起こった。ある日学校の横手にひとりのたい焼き屋が屋台をすえた。それはよぼよぼのおじいさんで銀の針のような短いひげがあごに生《は》え、目にはいつも涙をためてそれをきたないてぬぐいでふきふきするのであった。まずかまどの下に粉炭《こなずみ》をくべ、上に鉄の板をのせる。板にはたいのような形が彫《ほ》ってあるので、じいさんはそれにメリケン粉をどろりと流す、それから目やにをちょっとふいてつぎにあんを入れその上にまたメリケン粉を流す。
 最初はじいさんがきたないのでだれも近よらなかったが、ひとりそれを買ったものがあったので、われもわれもと雷同《らいどう》した、二年生はてんでにたい焼きをほおばって、道路をうろうろした、中学校の後ろは師範学校《しはんがっこう》である、由来いずれの県でも中学と師範とは仲《なか》が悪い、前者は後者をののしって官費《かんぴ》の食客だといい、後者は前者をののしって親のすねかじりだという。
 師範の生徒は中学生がたい焼きを食っているのを見て手をうってわらった。わらったのが悪いといって阪井生蕃《さかいせいばん》が石の雨を降らした。逃げ去った師範生は同級生を引率《いんそつ》してはるかに嘲笑《ちょうしょう》し
前へ 次へ
全142ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング