母がいった。チビ公をるすにして二人《ふたり》はそれぞれ知人をたよって示談の運動をした。
「よろしい、なんとかしましょう」
こう快諾《かいだく》してくれた人は四、五人もあったが、翌日《よくじつ》になると悄然《しょうぜん》としてこういう。
「どうも阪井のやつはどうしてもききませんよ、このうえは弁護士にたのんで……」
望みの綱《つな》も切れはてて一家三人はたがいにため息をついた。もとより女と子どものことである、心は勇気にみちてもからだの疲労《ひろう》は三日目の朝にはげしくおそうてきた。母の肩は紫《むらさき》に腫《は》れて荷を負うことができない、チビ公は睡眠《すいみん》の不足と過度の労働のために頭が大盤石《だいばんじゃく》のごとく重くなり動悸《どうき》が高まり息苦しくなってきた。
豆腐を買う人は多くなったが、作る人がなくなり売りにでる者がなくなった。
示談が不調で覚平《かくへい》は監獄《かんごく》へまわされた。
三
何人《なんぴと》が覚平のさしいれ物をしたかは永久の疑問として葬《ほうむ》られた。しかしチビ公の一家は次第次第に貧苦に迫った。夜中の二時に起きて豆腐を作れば朝にはもうつかれて町をまわることができない。町をまわろうとすれば夜中に豆腐を作ることができない。このためにお美代は女手一つでわずかばかりの豆腐をつくり、チビ公一人が売りに出ることにきめた。
製作の量が少ないので、いくら売れてももうける金額はきわめて少なくなった。チビ公はいつも帰り道に古田からたにしを拾うて帰った。一家三人のおかずはたにしとおからばかりであった。伯母のお仙は毎日のように愚痴《ぐち》をこぼした。
「おまえのためにこんなことになったよ」
これを聞くたびにチビ公はいつも涙ぐんでいった。
「伯母さん、ぼくはどんなにもかせぐから、そんなことをいわないでくださいよ」
ある日かれは豆腐《とうふ》おけをかついで例の裏道《うらみち》を通った、かれの耳に突然異様の音響が聞こえた。それは医者の手塚の家であった。夕日はかっと植え込みを染めて土蔵の壁が燃ゆるように赤く反射していた。欝蒼《うっそう》と茂った樹々の緑のあいだに、明るいぼたんの花が目ざむるばかりにさきほこっているのが見える。そこに大きな池があって土橋をかけわたしみぎわには白いしょうぶも見える。それよりずっと奥に回廊《かいろう
前へ
次へ
全142ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング