ある、どんなに影になっている点でもかすかな反射がある、この反射と影とは非常にまぎらわしいので困るとひとりがいった。するとひとりは影そのものにも反射があるといいだした。
 チビ公はびっくりしてものがいえなかった、かれはたった一年のあいだに友達の学問が非常に進歩し、いまではとてもおよびもつかぬほど自分がおくれたことを知った。幾何《きか》や物理や英語、それだけでもいまでは異国人のように差異ができた、こうして自分が豆腐屋《とうふや》になりだんだんこの人達とちがった世界へ墜落《ついらく》してゆくのだと思った。
「ねえきみ、ぼくらにはなんの話だかわからないね」
 かれは隣席の豊松《とよまつ》という少年にこうささやいた。豊松は八百屋《やおや》の子で小学校を卒業するまでに二度ほど落第した、チビ公よりは二つも年上だが、そのかわりに身体《からだ》が大きく力が強い、そのわりあいに喧嘩が弱く、よく生蕃になぐられては目のまん中から大粒《おおつぶ》の涙をぽろりと一粒こぼしたものだ、今日《きょう》集まった人々の中で中学校へもいかずに家業においつかわれているものは豊公とチビ公の二人だけであった、かれは学問やなにかの話よりも昔の友達がみな制服を着てるのに自分だけが和服でいるのがはずかしかった。
「あの人達は学者になるんだよ、おれ達とはちがうんだ」とかれはいった。
「そうだね、おれ達はなんになろうたって出来やしない」とチビ公がいった。
「金持ちはいいなあ」と豊公は嗟嘆《さたん》した。「いい着物を着ておいしいものを食べて学校へ遊びにゆく、貧乏人《びんぼうにん》は朝から晩まで働いて息もつけねえ、本を読みかけると昼のつかれで眠ってしまうしな」
「きみ、お父さんがあるの?」とチビ公がきいた。
「ないよ、きみは?」
「ぼくもない」
「親がないのはお金がないよりも悲しいことだね」
「それにぼくは力がない、きみは力があるからいいさ」
「力があってもだめだ」と豊公は急に腹だたしく、「おれは毎朝生蕃になぐられるんだ、そしていもだの豆だのなしだのかきだのぶんどられるんだ、それでもおれはだまってなきゃならない」
「ぼくも毎朝豆腐を食われるよ、きみなぞは力があるからなぐりかえしてやるといいんだ」
「だめだよ」と豊公はあやうくこぼれようとする涙をこらえていった。「あいつのお父さんは役場の役人だろう」
 チビ公はだまって溜《た》
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