先生は早速《さっそく》一同を集めた。
「遊戯は精神修養をもって主とするもので形式を主とするものでない、みんなはだかでやるならゆるす、おれはバットを作ってやる、はだかが寒いならシャツにさるまた、それでいい、それが当塾《とうじゅく》の塾風《じゅくふう》である」
「先生のいうとおりにします」と一同はいった。
翌日先生は庭先にでて大きなまさかりでかしの丸太を割っていた。
「先生なにをなさるんですか」と、チビ公がきいた。
「バットを作ってやるんだ」
放課後も先生はのこぎりやらかんなやらでバット製作にとりかかった。と仕立屋の小僧で呉田《くれた》というのがぼろきれをいくえにも縫《ぬ》いあわせて捕手のプロテクターを作った。すると古道具屋の子は撃剣の鉄面《めん》でマスクを作った。道具は一通りそろった。安場が日曜にきて、各シートを決めた、安場は東京からの汽車賃を倹約《けんやく》するためにいつも五里の道を歩いてくるのである。
投手は馬夫《まご》の子で松下というのである、かれは十六であるが十九ぐらいの身長があった。ちいさい時に火傷《やけど》をしたので頭に大きなあとがある、みなはそれをあだ名して五|大洲《だいしゅう》と称《しょう》した。かれの球はおそろしく速かった。
捕手は「クラモウ」というあだ名で左官の子である、なぜクラモウというかというに、いつもだまってものをいわないのは暗がりの牛のようだからである、身体《からだ》は横に肥ってかにのようにまたがあいている。一塁手は「旗竿《はたざお》」と称《しょう》せられる細長い大工の子で、二塁手は「すずめ」というあだ名で駄菓子屋の子である、すずめはボールは上手《じょうず》でないが講釈がなかなかうまい、かれは安場コーチの横合いから口をだしていつも安場にしかられた。
三塁手にはどんな球でもかならず止める橋本というのがある、かれはおそろしい勢いで一直線にとんできた球を鼻で止めたので後ろにひっくりかえった。それからかれを橋本とよばずに鼻本《はなもと》とよんだ。
外野にもなかなか勇敢な少年があった、ショートはチビ公であった、チビ公は身丈《みたけ》が低いが非常に敏捷《びんしょう》であった、かれは球を捕るには一種の天才であった、かれはわずかばかりの練習でゴロにいろいろなものがあることを感じた、大きく波を打ってくるもの、小さくきざんでくるもの、球の回転なしに
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