あ帰ろう」
 夕闇《ゆうやみ》がせまる武蔵野《むさしの》のかれあしの中をふたりは帰る。
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花さき花はうつろいて、露おき露のひるがごと、
星霜《せいそう》移り人は去り、舵《かじ》とる舵手《かこ》はかわるとも、
わが乗る船はとこしえに、理想の自治に進むなり。
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 日はとっぷりと暮れた、安場ははたと歌をやめてふりかえった。
「なあおい青木、一緒《いっしょ》に進もうな」
「うむ」
 たがいの顔が見えなかった。
「おれも早くその歌をうたいたいな」とチビ公はいった、安場は答えなかった、ざわざわと枯れ草が風に鳴った。
「おれの歌よりもなあ青木」と安場はいった。「おまえのらっぱの方が尊いぞ」
「そうかなあ」
「進軍のらっぱだ」
「うむ」
「いさましいらっぱだ、ふけッ大いにふけ、ふいてふいてふきまくれ」
 ひゅうひゅう風がふくので声が散ってしまった。
 幸福の神はいつまでも青木一家にしぶい顔を見せなかった、伯父さんとチビ公の勉強によって一家は次第に回復した。チビ公の母は病気がなおってから店のすみにわずかばかりの雑穀《ざっこく》を並べた、黙々《もくもく》先生はまっさきになって知人朋友を勧誘《かんゆう》したので、雑穀は見る見る売れだした。生蕃親子がこの地を去ってからもはやチビ公を迫害するものはない、店はますます繁昌し、大した収入がなくとも不自由なく暮らせるようになった。
 安場は日曜ごとに浦和へきた、そうして千三にキャッチボールを教えたりした、元来|黙々塾《もくもくじゅく》に通学するものはすべて貧乏人の子で、でっち、小僧、工場通いの息子、中には大工や左官の内弟子もあった。かれらはみんな仲よしであった、ハイカラな制服制帽を着ることができぬので、大抵《たいてい》和服にはかまをはいていた。
 チビ公は日曜ごとには朝から晩まで遊ぶことができるようになった、塾の生徒は師範学校や中学の生徒のように費用に飽《あ》かして遠足したり活動を見にゆくことができないのでいつも塾《じゅく》の前の広場でランニング、高跳びなどをして遊んでいた。それが安場がきてからキャッチボールがはやりだした、安場は東京の友達からりっぱなミットをもらってきてくれた、チビ公は光一のところへグローブの古いやつをもらいにいった。
「あるよ、いくらでもあるよ」
 光一は古いグローブ二つと新しいグロ
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