銀紙の花簪《はなかんざし》、赤いもの沢山の盛装した新調の立派な衣裳……眉鼻口《まゆはなくち》は人並だが、狐そっくりの釣上《つりあが》った細い眼付《めつき》は、花嫁の顔が真白いだけに一層《いっそう》に悽《すご》く見える。少し大きい唇にさした嚥脂《べに》の、これも悪《あく》どい色の今は怖ろしいよう、そして釣目《つりめ》は遠い白雲《しらくも》を一直線に眺めている。
頓《やが》て嫁入《よめいり》行列は、沈々《ちんちん》黙々《もくもく》として黒い人影は菜の花の中を、物の半町《はんちょう》も進んだ頃《ころお》い、今まで晴れていた四月の紫空《むらさきぞら》が俄《にわ》かに曇って、日が明《あきら》かに射していながら絹糸の如《よう》な細い雨が、沛然《はいぜん》として金銀の色に落ちて来た、と同時に例の嫁入《よめいり》行列の影は何町《なんちょう》を往《い》ったか、姿は一団の霧に隠れて更《さ》らに透《すか》すも見えない。
ただ茫然《ぼうぜん》として私は、眼前《がんぜん》の不思議に雨に濡れて突立《つった》っていた。花の吉野の落花の雨の代りに、大和路で金銀の色の夕立雨《ゆうだちあめ》にぬれたのであった。
御幣担《ごへいかつ》ぎの多い関西《かんさい》、特《こと》に美しいローマンチックな迷信に富む京都《きょうと》地方では、四季に空に日在《あ》って雨降る夕立を呼んで、これを狐の嫁入《よめいり》と言う、……偖《さて》は今見たのは狐の嫁入《よめいり》でなかったろうか? 後《あと》に黄《き》な菜の花が芬々《ぷんぷん》と烈しく匂うていた。
何《ど》のくらい歩いただろう、もう日は大和路の黄《き》な菜の花のなかに、極《きわ》めて派手な光琳式《こうりんしき》の真赤な色に沈落《しずみお》ちてしまってから、急いで私は淋しい古い街にある宿へ着いた。入口に角形《かくがた》の張行燈《はりあんどん》の灯《ひ》がボンヤリ夢の如《よう》に点《とも》っていた。
単に大和の国で、私は郡《ぐん》も町の名も知らない、古宿の破れ二階に、独り旅の疲れた躯《からだ》を据えていた、道中の様々な刺戟に頭は重くて滅入《めい》り込むよう、草鞋《わらじ》の紐の痕《あと》で足が痛む。
西南《にしみなみ》だろう黒い雲を掠《かす》めて赤い金色《きんいろ》の星が光る、流石《さすが》は昔から床《ゆ》かしい大和国を吹く四月の夜の風だ、障子を開けて坐っていると、何時《いつ》のまにか心地よく、柔《やわら》こう肌《はだえ》にそよぎ入って終《つ》いうとうと[#「うとうと」に傍点]と睡《ねむ》くなる。
トントン……と二階|梯子《はしご》を響かせながら、酒膳《しゅぜん》を運んで来た女は、まアその色の黒きこと狸の如く、煤《すす》け洋燈《らんぷ》の明《あか》りに大きな眼を光らせて、寧《むし》ろ滑稽は怖味《こわみ》凄味《すごみ》を通越《とおりこ》している。愈《いよい》よ不可思議な大和めぐりだと自ら呆《あき》れる、しかしこの狸の舌はなかなかに愛嬌《あいきょう》の滑《なめ》らかだ。
旅に乾いた唇を田舎酒に湿《しめ》しつつ、少し善《よ》い心地になって、低声《ていせい》に詩をうたっているスグ二階の下で、寂しい哀しい按摩笛《あんまぶえ》が吹かれている。私はこんな大和路の古い街にも住む按摩《あんま》が、奇妙にも懐かしく詩興《しきょう》を深く感じた、そこで、早々《そうそう》二階へ呼上《よびあ》げたら彼《か》れは盲人《めくら》の老按摩《あんま》であった。
蒲団の上に足を伸《のば》しながら、何か近頃この街で珍らしく異《かわ》った話は無いか? 私が問うと、老|按摩《あんま》は皺首《しわくび》を突出《つんだ》して至って小声に……一週間前にしかもこの宿で大阪《おおさか》の商家《あきゅうど》の若者が、お定《さだま》りの女買《おんながい》に費込《つかいこ》んだ揚句《あげく》の果《はて》に、ここに進退きわまって夜更《よふ》けて劇薬自殺を遂《と》げた……と薄気味悪《わ》るく血嘔《ちへど》を吐く手真似で話した。
私の顔色は青く、脈搏は嵩《たか》まったであろう。どこやらの溝池《どぶいけ》でコロコロと蛙《かわず》の鳴音《なくね》を枕に、都に遠い大和路の旅は、冷たい夜具《やぐ》の上――菜の花の道中をば絶望と悔悟《かいご》と且《か》つ死の手に追われ来た若者……人間欲望の結局に泣いて私は、尚《な》お蛙《かわず》の菜の花にひびかせて歌うに聴きとろけつつ……
ランプが薄ぼんやりと枕許《まくらもと》に夢のように在る。
朝、眠不足《ねむりふそく》な眼の所為《せい》か、部屋の壁に血のような赤い蝶が止《とま》っていた。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四
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