だから、煎じ詰めれば、彼等と我との意見の衝突は、悲観と楽観との衝突である。彼等は人間を以て教うべからざる動物とし、我はこれを以て教うべき動物とし、彼等は陰鬱なる世界の現状を以て、如何ともすべからざるものとなし、その極、人類の自滅にも甘んずるに反して、我は明朗なるべき世界の未来を期待して、人類にその愚を悟らしめつつ、これをこの境地に導かんとしているのである。
だが、如何せん、彼等は国家の権力を擁して、我に臨みつつあることを。そして彼等は我をして具体的には物を言わしめない。我のみではない。我等に物を言わしめない。その結果は推して知るべきであって、今や各個人は流行を過ぐればもう人の口に上らなくなった「全体主義」の下に生活しながら、積極的個人主義より、消極的個人主義に堕し、未来の光明を失わんとしつつある。[#地から1字上げ](昭和十六年八月)
底本:「畜生道の地球」中公文庫、中央公論社
1989(平成元)年10月10日発行
底本の親本:「畜生道の地球」三啓社
1952(昭和27)年7月
入力:門田裕志
校正:Juki
2005年5月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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