ないほどだから、文明の雰囲気を語らんとするものは、一人もいない。特に我国の新聞記者に至っては、科学的知識に全然無智であるためか、神秘主義に終始して、国難を救わんとしている。ハイゼンベルクやディラークの如き革命的にして、困苦な、輝かしい記者は一人もいない。唯非創造的なる政府及び民衆を刺戟した偽の成長を見て、これに満足せんとしている。
われらは固より日に新にして、日に日にまた新ならんとしつつある今日の社会に於て、素朴なる昔時の新聞記者たらんことを欲せず、またそれが許されないことを知る。だが、その「無冠の帝王」説を回顧するときは、記者自身大なる誇を感ぜざるを得ない。ヴィクトル・ユーゴの「剣筆を殺さずてば、筆剣を殺さん」と言った語に、若い血を躍らせる。かかる時代は再現しないだろうけれども、昔恋しさの感に堪えない。降って「社会の反射鏡」説に至り、新聞はここに一の技術となったけれども、この機能を保存すればわれらはなお新聞記者を尊重する。だが、この頃の新聞に至っては、徹底的でなければなるべく多く社会を反射せしめず、というよりも、全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論を代表せずし
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