の、小さな二階で、恰も南畫の人物が、二階に寢ころんでゐるやうな、いい心持で辨當をつかつた。そして此時は、私はインスピレーションを感じたと云つてもいいやうに、作歌に驅り立てられて、自分で滿足出來る歌を得る事が出來た。
 其後、夏過ぎてから、確か八月末頃の午後にもう一度行つたが、其時は海の色は濁つて、一杯にさざ波が立ち、茶屋の周りには、海水浴の名殘のボートや、浮袋なぞがあつて、初めとは全く別個のつまらない處だつた。これで見ても風景は、自分の氣持や、其時の事情で、隨分よくもわるくもなり得るものだと思ふ。

 私の旅館の若主人が釣好きで、時々小舟に乘せて、吾々夫婦を圓山川へ釣の案内してくれた。朝まだ日の出後間もなく、陸から海へ向けて、陸軟風の吹いてゐる間に、川下へ舟をやつて、釣を始める。圓山川の右岸に一箇所、好い緑蔭があつたが、その大樹が、川へ枝をさし出してゐる下に、舟をとめて釣つてゐるのは、實に閑雅な、のどかなものだつた。しかしそこには魚がゐなかつたので、若主人が又暑い方へ舟を出したのにはがつかりした。或時釣をしてゐるうちに、夕立が降つて來さうな、空模樣になつた事があつた。其時若主人が慌てて、人家のある岸の方へ漕いだが、私がその舟が中々思ふやうに河を溯《さかのぼ》らないのを、まるで夢の中で逃げてゐるやうだと、皮肉でなしに云つたのを眞に受けて、夢中になつて漕ぎ出したのは、氣の毒でもあり、可笑しくもあつた。漸く雲脚より早く對岸について、一軒の田舍家に入り、そこの暗い土間で雨やどりをして、もう釣はやめて陸路を城崎へ歸つた。
 この圓山川を私は中々愛した。漫々と流れてゐる川は、變化に乏しく、目立たないやうだが、親しむと盡きぬ滋味を藏してゐる。私はこの川からも幾首かの歌を得てゐる。



底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「木下利玄全集 散文篇」弘文堂書房
   1940(昭和15)年初版発行
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月9日作成
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