、多くは是れ神を離れたる常識、天を畏れざる常識、信仰なき常識のみ。是れ真理に遠き常識なり。真理を離れたる常識は即ち悪魔の働となる。常の一字難いかな」
「眼鏡のゴミの掃除をのみ専業とする者あり。眼鏡は何の用か。物を見るに在り。物を見ることをなさずして、只管眼鏡をコスリて終生の業とす。夫れ神を見るは眼鏡の力に非ず。仏智は心眼と言ふ。心を以て見るに、尚ほ私心を免れず。口に公明と言ひ誠大と言ふも、力よく聖に到らざれば心眼明かなりと言ふこと能はず。聖も尚ほ之を病めり、聖なればこそ之を病めり。常人は病ともせざるなり。私を去り慾を去り、正路に穏かに神に問ふべし、我が信によりて問ふ所、神必ず答ふ」
「人若し飽くまで神を見んと欲せば、忽にして見るべし。誠に神を見んと欲せば、先づ汝を見よ。天を仰ぐも未だ見るべからず。精を尽し力を尽して先づ汝の身中を見よ。身中一点の曇なく、言行明かにして、心真に見んことを欲す。然る後に見るべし。神は木像にあらず。徒らに神の見えざるを言ふ、其愚憐むべし」
「既に神を見んと欲せば、先づ汝を見よ。汝を見て克く明かなり。仰で天を見よ。天の父も母も皆な見ゆ。天地一物、神一物。我は分体にして神の子なり」
「偶々聖に似たるものあれども、一人の聖、独りの聖のみ。独立の成人なく、世界を負ふの聖人なし。故に我は我を恨む。我力の弱き、我信の薄き、我精神の及ばざる、我が勇気の足らざるを恨む」
「罪、汝が身に在り。寸毫も他を売るの資格なし。是れ予の熱誠、是れ誠に予が神を見るの秘訣なり。人生最上の天職は神秘の発明に在り。神秘研究の方面また甚だ多からん。予が神秘の要領は、即ち神を見るにあり」
「到底日本は狂して亡び、奢りて亡び、勝ちて亡び、凌いで亡び、詐りて亡び、盗んで亡ぶ、最も大なるは無宗教に亡ぶる事なり。誰ぞキリストの真を以て立つ人なきか。世界を負ふの大精神を有するもの無きか。予は在りと信ず。無しと言へば無し。在りと言へば在り。信の一のみ。神と共にせば、何事の成らざるなし。是れ億兆を救ふ所以なり」
「世界的大抱負は誠に小なる一の信に出づ。此の小や、無形にして小とだに名づけ難しと雖も、而かも天地に充ち、自在にして到らざる所なし。神ともなり、牛馬ともなる。世人此の易きを難しとして学ばず。予の悲痛苦痛、此処に在り」
末尾にかう書いてある。
 明治四十二年七月七日
  古河町停車場田中屋
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