いづる虱よく見れば彼も造化の
手足なるらん
降る雪よやみかたなくば積もれかし我はふみ立て
けたて行くべし
[#ここで字下げ終わり]

   谷中村破壊

 今も世間で偶々田中翁の事を語る時に「谷中村の破壊事件」を言ふ。けれどもこの「谷中村の破壊」と云ふ一語に何が含まれて居るかを明瞭に知る者は殆ど無い。これは翁が老後而かも最も細密な苦辛を嘗めた事件であるが、茲には極めて大体の輪廓を語る外に道が無い。
 翁は嘗て議会で、足尾鉱毒事件は最早渡良瀬川沿岸のみの問題では無く、既に江戸川の問題であり、東京府の問題であることを叫んだ。政府は江戸川の上流関宿の口を狭めて、利根川の下流を渫ひ、更に渡良瀬川が利根へ合流する口を拡げて、洪水の時には大きな利根の水が渡良瀬の水を押へてこれを何十里逆流させ、以て江戸川の氾濫を禦ぐ策を立てた。そこでこの渡良瀬川の逆流洪水を緩和する為めに渡良瀬の下流谷中村一帯の農村を亡くして、大遊水池を造ると云ふのである。政府が治水会と云ふものを設け全国河川の改修諮問案を出した中に、この渡良瀬改修案をも加へてある。治水会の会員には官吏技師議員など網羅してある。田中翁は絶叫した。『これは銅山党の奸策だ。鉱毒問題を治水問題に塗り変へる銅山党の奸策だ。』
 けれど翁のこの熱弁に耳を仮す者は恐らく一人も無かつたらう。のみならず、今や渡良瀬川沿岸の鉱毒地ですら、一には多年の疲弊の為め、一には目前逆流洪水の損害を免れる為め、この政府の渡良瀬改修案、即ち、谷中村亡滅案を歓迎する情態で、現に彼の兇徒嘯集罪の英雄等すら、この渡良瀬改修案の餌の為めに、多年の首領田中正造に楯を衝くことになつた。
 明治三十七年末の栃木県会に於て、知事は政府の命令に従て堤防修築費の偽名の下に三十六万円の谷中村破壊追加予算案を県会最後の日に提出した。この間秘密の運動あり、深夜開議、質問もなく答弁もなく、全会闇黙の裡にこれを可決通過した。この県会の決議を待つて、政府は衆議院へ「栃木県災害土木補助費二十二万円」の臨時予算を提出し、議会は無造作にこれを通過した。翁は東奔西走した。けれど翁の『銅山党の奸策』は殆ど全く何処にも反響しなかつた。寧ろ田中の狂激として却て到る所に反感を買つたに過ぎなからう。この政府の補助費二十二万円の中十二万円が谷中亡滅費に加へられるので、即ち谷中村破壊費用総計四十八万円と云ふことであ
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