目で挨拶した。
 幸徳は徐ろに直訴状執筆の始末を語つた。昨夜々更けて、翁は麻布宮村町の幸徳の門を叩き起した。それから、鉱毒問題に対する最後の道として、一身を棄てゝ直訴に及ぶの苦衷を物語り、これが奏状は余の儀と違ひ、文章の間に粗漏欠礼の事などありてはならぬ故、事情斟酌の上、筆労を煩はす次第を懇談に及んだ。――幸徳の話を聴いて居ると、黒木綿の羽織毛襦子の袴、六十一歳の翁が、深夜灯下に肝胆を語る慇懃の姿が自然に判然と浮んで見える。
『直訴状など誰だつて厭だ。けれど君、多年の苦闘に疲れ果てた、あの老体を見ては、厭だと言うて振り切ることが出来るか』
 かう言ひながら幸徳は、斜めに見上げて僕を睨んだ。翁を返して、幸徳は徹夜して筆を執つた。今朝芝口の旅宿を尋ねると、翁は既に身支度を調へて居り、幸徳の手から奏状を受取ると、黙つてそれを深く懐中し、用意の車に乗つて日比谷へ急がせたと云ふ。
『腕を組んで車に揺られて行く老人の後ろ影を見送つて、僕は無量の感慨に打たれた』
 語り終つた幸徳の両眼は涙に光つて居た。僕も石川も、黙つて目を閉ぢた。
 直訴に就ては、僕は恰も知らないやうな顔をして過ぎて居たが、十年を経て幸徳も既に世に居なくなつた後、或時、僕は始めて翁に「直訴状」の事を問うて見た。それは、幸徳の筆として世上に流布された直訴状の文章が、大分壊はれて居て、幸徳が頗る気にして居たことを思ひ出したからだ。例へば、鉱毒被害の惨状を説明した幸徳の原文には
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「――魚族弊死し、田園荒廃し、数十万の人民、産を失ひ業に離れ、飢て食なく病で薬なく、老幼は溝壑に転じ、壮者は去て他国に流離せり。如此にして二十年前の肥田沃土は、今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野となれり」
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 如何にも幸徳の筆で、立派な文章だ。ところが世上に流布されて居るものは、
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「魚族弊死し田園荒廃し、数十万の人民の中、産を失へるあり、営養を失へるあり、或は業に離れ、飢て食なく病で薬なきあり――今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野となれるあり」
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 かうなつて居る。
 あの当日、毎日新聞社のヴエランダで、三人で語つた時にも、幸徳は通信社の印刷物を手にしながら、『黄茅白葦満目惨憺の荒野となれるあり、では、君、文章にならぬぢやないか』と、如何にもナサケなげ
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