た。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。
「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、お亡《な》くなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」
 とも尼君は言っていた。
 大尼君の病気は癒《い》えてしまった。それに方角の障《さわ》りもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことであると女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。比叡《ひえ》の坂本《さかもと》の小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程《みちのり》は長かった。途中で休息する所を考えておけばよかったと言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。
 老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒《かいゆ》したふうの見えたために僧都は横川《よかわ》の寺へ帰った。身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよい噂《うわさ》にならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣《さんけい》した人が途中で病気になったのを継母《ままはは》などという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。河《かわ》へ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康《じょうぶ》にさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷《きとう》をさせていた。それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた。
[#ここから1字下げ]
ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっと憑《つ》いていて禍《わざわ》いをしているものらしく思われます。私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはお籠《こも》りに障《さわ》ることでもないではございませんか。
[#ここで字下げ終わり]
 などと、切な願いを言い続けたものであった。不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおうと僧都は思って山をおりた。
 うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した。
「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよ。そうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」
 尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。
「はじめ見た時から珍しい美貌《びぼう》の人だったね。どんなふうでいます」
 と言い、僧都は病室をのぞいた。
「実際この人はすぐれた麗人だね。前生での功徳《くどく》の報いでこうした容姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんな障《さわ》りがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」
「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬《はせ》の観音様がくだすった人ですもの」
 と尼君は言う。
「それにはそれの順序がありますよ。虚無から人の出てくるものではないから
前へ 次へ
全24ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング