、歌のお返しでもなさいよ」
尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌を詠《よ》めば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった。尼君は若い時代に機智《きち》を誇った才女であったのであろう。
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「秋の野の露分け来たる狩りごろも葎《むぐら》茂れる宿にかこつな
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迷惑がっておられます」
と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた。姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、
「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」
などと言い、身体《からだ》も引き動かすばかりに言うのであった。さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気で詠《よ》んで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである。
なんという不幸な自分であろう、捨てるのに躊躇《ちゅうちょ》しなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として何人《なんびと》からも忘れられたいと思い悩んで、横になったままの姿で浮舟《うきふね》はいた。中将は何かほかにも愁《うれ》わしいことがあるのか、ひどく歎息《たんそく》をして、笛を鳴らしながら「鹿《しか》の鳴く音《ね》に」(山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた。
「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」
と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、
「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや)お帰りになるのですか」
と言って、御簾《みす》の所へ出て来た。
「もうたくさんですよ。山里も悲しいもの
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