ようとしなかった。かぐや姫を竹の中に見つけた翁《おきな》よりも貴重な発見をしたように思われるこの人は、どんな隙《すき》から消えていくかもしれぬということが不安に思われてならぬ尼夫人であった。この家の人も貴族であった。若いほうの尼君は高級官吏の妻であったが、良人《おっと》に死に別れたあとで、一人よりない娘を大事に育てていて、よい公達《きんだち》を婿にすることができ、その世話を楽しんでしていたのであるが、娘は病になって死んだ。それを非常に悲しみ尼になってこの山里へ移って来たのである。忘れる時もなく恋しい娘の形見とも思うことのできる人を見つけたいとつれづれなあまりに願っていた人が、意外な、容貌《ようぼう》も様子も死んだ子にまさった姫君を拾いえたのであったから、現実のことともこれを思うことができず、変わりなしにこの幸福の続いていくかどうかをあやぶみながらもうれしく思っている尼君であった。年はいっているがきれいで、品がよく、身のとりなしにも気高《けだか》いところがあった。ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった。庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの灌木《かんぼく》や草も上手《じょうず》に作られてあった。
秋になると空の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、田舎《いなか》らしい催し事をし、若い女は唄《うた》を高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は常陸《ひたち》に住んだ秋が思い出されるのであった。同じ小野ではあるが夕霧の御息所《みやすどころ》のいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。尼君は月の明るい夜などに琴を弾《ひ》いた。少将の尼という人は琵琶《びわ》を弾いて相手を勤めていた。
「音楽をなさいますか。でなくては退屈でしょう」
と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの稽古《けいこ》をする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟《うきふね》の姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。そして何の信念も持ちえなかった自分で
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