僧と、それの叔父《おじ》にあたる阿闍梨《あじゃり》、そのまた親しい弟子《でし》、もとから心安い老僧などで忌中を籠《こも》ろうとして来ていた人たちなどだけに真実のことを知らせ遺骸のあってする葬式のように繕わせて出す時、乳母は悲しがって泣き転《まろ》んだ。宇治の五位、その舅《しゅうと》の内舎人《うちとねり》などという以前に嚇《おど》しに来た人たちが来て、
「お葬式のことは殿様と御相談なすってから、日どりもきめてりっぱになさるのがよろしいでしょう」
 などと言っていたが、
「どうしても今夜のうちにしたい理由《わけ》があるのです、目だたぬようにと思う理由もあるのです」
 と言い、その車を川向かいの山の前の原へやり、人も近くは寄せずに、真実のことを知らせてある僧たちだけを立ち合わせて焼いてしまった。火は長くも燃えていなかった。田舎《いなか》の人はこうした作法はかえって都人より大事にするもので、そしてこの場合の縁起を言ったりすることもうるさいほどにするものであったから、大家の夫人の葬儀とも思われぬ貧弱な式であったと譏《そし》る人があったり、また側室であった人の場合はこんなふうにして済まされるのが京
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