。守《かみ》も賤《いや》しい出身ではなかった。高級役人であった家の子孫で、親戚《しんせき》も皆よく、財産はすばらしいほど持っていたから自尊心も強く、生活も派手《はで》に物好みを尽くしている割合には、荒々しい田舎《いなか》めいた趣味が混じっていた。若い時分から陸奥《むつ》などという京からはるかな国に行っていたから、声などもそうした地方の人と同じような訛《なまり》声の濁りを帯びたものになり、権勢の家に対しては非常に恭順にして恐れかしこむ態度をとる点などは隙《すき》のない人間のようでもあった。優美に音楽を愛するようなことには遠く、弓を巧みに引いた。たかが地方官階級だと軽蔑《けいべつ》もせずよい若い女房なども多く仕えていて、それらに美装をさせておくことを怠らないで、腰折歌《こしおれうた》の会、批判の会、庚申《こうしん》の夜の催しをし、人を集めて派手《はで》に見苦しく遊ぶいわゆる風流好きであったから、求婚者たちは、やれ貴族的であるとか、守の顔だちが上品であるとか、よいふうにばかりしいて言って出入りしている中に、左近衛《さこんえ》少将で年は二十二、三くらい、性質は落ち着いていて、学問はできると人か
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