。守《かみ》も賤《いや》しい出身ではなかった。高級役人であった家の子孫で、親戚《しんせき》も皆よく、財産はすばらしいほど持っていたから自尊心も強く、生活も派手《はで》に物好みを尽くしている割合には、荒々しい田舎《いなか》めいた趣味が混じっていた。若い時分から陸奥《むつ》などという京からはるかな国に行っていたから、声などもそうした地方の人と同じような訛《なまり》声の濁りを帯びたものになり、権勢の家に対しては非常に恭順にして恐れかしこむ態度をとる点などは隙《すき》のない人間のようでもあった。優美に音楽を愛するようなことには遠く、弓を巧みに引いた。たかが地方官階級だと軽蔑《けいべつ》もせずよい若い女房なども多く仕えていて、それらに美装をさせておくことを怠らないで、腰折歌《こしおれうた》の会、批判の会、庚申《こうしん》の夜の催しをし、人を集めて派手《はで》に見苦しく遊ぶいわゆる風流好きであったから、求婚者たちは、やれ貴族的であるとか、守の顔だちが上品であるとか、よいふうにばかりしいて言って出入りしている中に、左近衛《さこんえ》少将で年は二十二、三くらい、性質は落ち着いていて、学問はできると人から認められている男であっても、格別目だつ才気も持たないせいで、第一の結婚にも破れたのが、ねんごろに申し込んで来ていた。常陸夫人は多くの求婚者の中でこれは人物に欠点が少ない、結婚すれば不幸な娘によく同情もするであろう、風采《ふうさい》も上品である、これ以上の貴族は、どんなに富に寄りつく人は多いとしても、地方官の家へ縁組みを求めるはずはないのであるからと思い、姫君のほうへその手紙などは取り次いで、返事をするほうがよいと認める時には、書くことを教えて書かせなどしていた。夫人はひとりぎめをして、守は愛さないでも自分は姫君の婿を命がけで大事にしてみせる、姫君の美しい容姿を知ったなら、どんな人であっても愛せずにはおられまいと思い立って、八月ぐらいと仲人《なこうど》と約束をし、手道具の新調をさせ、遊戯用の器具なども特に美しく作らせ、巻き絵、螺鈿《らでん》の仕上がりのよいのは皆姫君の物として別に隠して、できの悪いのを守の娘の物にきめて良人《おっと》に見せるのであったが、守は何の識別もできる男でなかったからそれで済んだ。座敷の飾りになるという物はどれもこれも買い入れて、秘蔵娘の居間はそれらでいっぱいで、
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